関東平野は現在進行形で沈んでいる 「関東造盆地運動」のお話

 500万~200万年以上前から(年代については諸説あり過ぎ)、関東平野の中心部が少しずつ沈んで、周りが高くなるという「関東造盆地運動」が続いているとのこと。
 その「中心部」というのが、埼玉県幸手市付近なのだそうです。幸手市は、市川市よりも江戸川の上流にあり、槙野地という地区が下総台地にあります。
 下の地図の、青い旗が立っているところが埼玉県幸手市。標高が7.7mとのこと。
20万分の1日本シームレス地質図より

 ちなみに、「標高」は、東京湾の平均海面を0mの「基準面」ということにして、基準面からどれだけ高いかを示しています。
 海抜は、近隣の海面からの高さなのですが、市川市など東京湾周辺だと、標高も海抜も変わらないのでしょうね。


   槙野地地区に分布する台地は、低地より古い更新世(180ー160万年前から1万年前)の地層が主体となってできており、地表を関東ローム層が被っています。関東ローム層とは、火山灰から形成された関東地方に分布する地層で、赤土と呼ばれています。台地は低地の地層の下にも埋没しています。
    関東平野では幸手付近を中心に沈降運動(造盆地運動)が生じているため、台地が沈んで埋没し、低地との高さの差がはっきりしなくなっています。上流から多くの河川が集まってくるのも、この沈降運動の影響です。

市内でも、槙野地は下総台地に位置し、西側の水田と比べると3~4メートルほど高台になっています。ここには関東ローム層という黒土や赤土があり、縄文時代と呼ばれる7千年ほど前から、人の生活がこの台地上で営まれてきました。

 ただ、沈降の中心が茨城県古河市と東京湾北部という資料もありました。

 関東造盆地運動の影響で、下総台地は、市川市が位置する西側が、九十九里がある東側よりも低くなっているとのこと。
 この運動は現在も続いていて、関東平野全体の平均沈降は年間0.7mm程度になるそうです。

台地面は著しく平たんであるが,標高は房総丘陵に接する南東隅で90~100mと最も高く,東縁部でも50~60mあるが,西半部では20~30m,北西隅では15m程度に低下する。

一様に下末吉面と呼ばれる同時代形成の地形面でありながら,南東に高く北西に低い高度分布は,関東造盆地運動(関東平野の中心部に沈降し,周縁部に隆起する地殻運動)の影響のためである。この台地を貫流する河川はないが,栗山川,鹿島川,神崎(こうざき)川など中小の河川は台地面を開析し,支谷が樹枝状に広がる。

株式会社平凡社世界大百科事典 第2版

 1年で0.7mmとなると、1300年の間に91cm、関東平野が低くなっていることになります。真間の手児奈が生きていたと考えられる時代と、今とでは、川の流れをはじめ、地形も大きく異なっていたのでしょう。そこに、人の手も加わって、地域の風景は変化していったわけです。

■参考資料

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