京成電鉄菅野駅の周辺には桃林を再現させたほうがいいんじゃないか問題
市川市の西側は、大正の頃まで、東京のリゾート地でした。名物の一つが桃林で、花見客が来ていたそうです。『写真で見る わがまち市川』(郷土出版社)には、花見の様子を撮影した写真が収載されています。その1枚を、AIでカラー化しました。
AIでカラー化 |
『写真で見る わがまち市川』(郷土出版社)より |
1928年(昭和3年)に発表された「千葉縣市川町鳥瞰」では、現在の京成電鉄菅野駅よりも北側には桃林が、南側には松林が広がっています。
下は1918(大正7)年の地図で、菅野駅は現在よりも東側にありました。果樹園のマークがあるので、この地図からも当時は桃林だったことがよくわかります。
左が1918年頃の、右が現在の地図(今昔マップより、一部改変) |
下の1945(昭和20)年の地図だと、ほぼ現在の場所に菅野駅があります。第二次世界大戦中に桃林が切り倒されて畑となった後、住宅地になったことがわかります。
住宅地になっていっても、松は残ったようです。下の1998(平成10)年の地図だと、菅野駅の周りに黒いポツポツが並んでいます。
現在の菅野駅は、どうなっているのでしょうか。
それもそのはず。整備がストップしているのです。
東京外環自動車道(千葉県区間、2018年6月に開通)を菅野駅の下に通す工事で、菅野駅周辺の環境が大きく変わりました。そして発表したのが、市川市が「菅野駅前ロータリーの施設計画」です。
市川市「菅野駅前ロータリーの施設計画」より |
この計画が、地元住民には受け入れられない内容だったことについては、"夢か、狂気か「ネオ・トウキョウ・プラン」その4 町づくりは現場主義であってほしい、これだけの理由"で紹介しました。
ネット上で疑問視されていた、「菅野駅南側のタクシープール問題」が気になったので、実際に現場に足を運びました。
さらに、タクシー乗り場はすでに設置されていました。ここにタクシーが停車しても、後ろの車がよほど大きくなければ、交通の妨げにはなりません。
菅野駅の乗降人員、一日当たり、平均4,494人とのこと。京成小岩から京成津田沼までの間で、下から2番目(最も少ないのは京成中山)。
やはり、客待ちをするタクシーは、菅野駅周辺にはないように思えます。また、もしも客待ちをしたければ、そのスペースは現時点で十分にあります。
東京外環自動車道の工事によって空きスペースができたのならば、タクシープールを設置するのではなく、桃林を再現させたほうが地元の人たちにも喜ばれるのではないでしょうか。
菅野の桃林で花見。
電車に乗ってやってくるお客さんも増えそうな気がします。余計なお世話でしょうが。
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市川 芸妓ものがたり 1
■参考資料
東京外環自動車道 京成菅野アンダーパス工事 鉄道下の道路交差部函体の世界最大断面への挑戦
市川市 菅野駅前ロータリーの施設計画
最近なぜか問い合わせの多い昔の地図記号、「園囿」。戦前は「樹木に囲まれた居住地」とは呼んでいなかった。なお「樹木に囲まれた居住地」の記号は現在の地形図図式では廃止されている。
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