市川大百科事典 し 下総国分寺跡 しもうさこくぶんじあと

下総国分寺跡 しもうさこくぶんじあと

 市川市国分3丁目20−1にある、国指定文化財。



現在の下総国分寺

 日本へ仏教が伝来したのは、6世紀半ばとされている。ただ、中国や朝鮮半島からの移住者である渡来人によって、それ以前にも仏教は日本に入ってきていた。

 朝廷では崇仏論争など仏教が権力闘争に結びつき、後に厩戸皇子(聖徳太子)は国づくりに仏教を取り入れた。

 仏教政策で各地に多くの寺院ができたものの、数が増え過ぎたために荒廃するところが多かったために、701年に「僧尼令(そうにりょう)」が出され、僧尼身分の異動と、寺院以外での宗教活動に厳しい制限を設けられた。さらに716年の「寺院併合令」では、寺田(寺院の運営経費のための領田)対策と、草堂(草ぶきの家)の統廃合、荒廃した寺院に対する規定が出された。
 こうした法令を出すことで、国家が仏教統制を行った。

 741年、聖武天皇による「国分寺建立の詔」によって、国府が置かれている場所に国分寺と国分尼寺が建立されることになった。下総の国府がある現在の市川市にも、下総国分僧寺と下総国分尼寺が建てられた。
 下総国分僧寺は、現在の国分寺とほぼ同じ場所にあった。また、奈良県の法隆寺と同じ配置(法隆寺式伽藍配置)で、金堂・塔・講堂が建てられていた。
 なお、現在のようにクレーンやブルドーザーといった建設機械がない時代なので、国分寺建立の詔から数年後に下総国分僧寺が完成したと考えられる。

 9世紀になると貴族の権力抗争や、地方の農村社会の疲弊(農民は浮浪・逃亡・僧侶への転化などによって課役を逃れようとした、など)によって、中央集権を目指した律令国家が衰退すると同時に、国分寺も維持が難しくなり、徐々に荒廃していった。





参考資料


    森 真希 2022/08/08






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