市川大百科事典 ね ねね塚の旧跡 ねねづかのきゅうせき

 ねね塚の旧跡 ねねづかのきゅうせき

 市川市広尾2丁目1−4に、以下の文章が記された看板がある。


ねね塚の初見は『葛飾誌略』(一八一〇年)です。
渡しとは、今井の渡しを指します。
「磔場。この渡下一丁(約一〇九メートル)ばかり、いま字のように成れり。この由来を尋ねるに、正保元甲申(一六四四)年生実の城主森川半彌様御家来男女二人、久三郎とイネ駆落ち、この川を舟で越えす。船頭両人、鎌田村某当村某、この両人法外の価を取り船を渡したり。もっとも、渡船にては渡さずといえども、渡し場見懲らしめのお仕置き成され、男女両人船頭両人とも、ならびに当村某の女房、共に五人同罪になり、村方二人は菩提所へ引き取り葬る。両人はこの所へ埋む。印には石地蔵を立て、ねね塚といへり。何れの頃か洪水に川へ埋もれたりと、云々」とあります。



森 真希 2022/07/08




 

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