つながる市川! 行徳橋の架け替えは今年3月23日!
江戸文化が花開いた行徳。
2020年は行徳の年になるので、『クラナリ』でも何度も足を運ぶことになりそうです。
そして心待ちにしているのが、行徳橋の架け替えです。その大きな理由は歩道。取材での移動は自転車を使っていて、これまでの行徳橋だと歩道が1.5m(さらに、ところどころで狭くなっている)と実に通りにくかったのです。
それが4mに拡大するというのはうれしいこと! これまで以上に楽に移動できます。
行徳橋の架け替えで市川市内の行き来が増えて、もっともっと行徳が盛り上がりそうですね。
ところで、同じ市川市内でどうしてこれほど移動が不便だったのかというと、江戸川放水路が掘削されたからです。
江戸川放水路ができる前は、行徳から稲荷木、大洲まで陸続きで、ウィキペディアによると、以下の地区が「行徳町」に含まれていたとのこと。行徳町は、とても広かったのですね。
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伊勢宿、入船、大洲、大和田、加藤新田、上妙典、河原、高谷、末広、幸、塩焼、下新宿、下妙典、関ケ島、宝、田尻、稲荷木、富浜、原木、東大和田、日之出、二俣、本行徳、本塩、妙典
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以下の写真に写っている一帯は、すべて行徳町だったわけです。
江戸川放水路が竣工したのは大正8年(1919年)。水害対策として作られたのでした。
行徳橋が新しくなり、昔の行徳町内もつながりを取り戻しそうですね。
今昔マップ on the web
※事実誤認がありましたら、ご連絡ください!!
■参考資料
国土交通省関東地方整備局江戸川河川事務所 行徳橋の架替え進む
https://www.kozobutsu-hozen-journal.net/news/detail.php?id=441&page=1
江戸川河口だより
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000764977.pdf
市川市サイト内ページ
http://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1441000003.html
2020年は行徳の年になるので、『クラナリ』でも何度も足を運ぶことになりそうです。
そして心待ちにしているのが、行徳橋の架け替えです。その大きな理由は歩道。取材での移動は自転車を使っていて、これまでの行徳橋だと歩道が1.5m(さらに、ところどころで狭くなっている)と実に通りにくかったのです。
それが4mに拡大するというのはうれしいこと! これまで以上に楽に移動できます。
行徳橋の架け替えで市川市内の行き来が増えて、もっともっと行徳が盛り上がりそうですね。
行徳橋の工事風景 2018年1月 |
2018年7月 |
2018年8月 |
2018年11月 |
2019年2月 |
2020年1月 |
2020年1月 |
ところで、同じ市川市内でどうしてこれほど移動が不便だったのかというと、江戸川放水路が掘削されたからです。
江戸川放水路ができる前は、行徳から稲荷木、大洲まで陸続きで、ウィキペディアによると、以下の地区が「行徳町」に含まれていたとのこと。行徳町は、とても広かったのですね。
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伊勢宿、入船、大洲、大和田、加藤新田、上妙典、河原、高谷、末広、幸、塩焼、下新宿、下妙典、関ケ島、宝、田尻、稲荷木、富浜、原木、東大和田、日之出、二俣、本行徳、本塩、妙典
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以下の写真に写っている一帯は、すべて行徳町だったわけです。
行徳橋周辺はもちろん…… |
田尻の方面も…… |
稲荷木も…… |
大和田も…… |
大洲も! |
江戸川放水路が竣工したのは大正8年(1919年)。水害対策として作られたのでした。
行徳橋が新しくなり、昔の行徳町内もつながりを取り戻しそうですね。
江戸川放水路ができる前は、行徳から稲荷木、大洲まで陸続き(画面右側が現在の地図) |
江戸川放水路が海側から開削されてきたことがわかります |
※事実誤認がありましたら、ご連絡ください!!
■参考資料
国土交通省関東地方整備局江戸川河川事務所 行徳橋の架替え進む
https://www.kozobutsu-hozen-journal.net/news/detail.php?id=441&page=1
江戸川河口だより
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000764977.pdf
市川市サイト内ページ
http://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1441000003.html
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