【再び訪れる未来への勝手な提言】核家族からごちゃまぜ家族へ

 『クラナリ』の取材では、ボランティア活動している方々にお世話になる機会が多々ありました。こども食堂やイベントのときなど、本当にありがとうございました。

 大洲防災公園で「いちかわボランティアフェスティバル2019」が開催されていたのですが、その様子をぼんやりと眺めながら思ったのです。

 「家族のあり方は、高度成長期前に戻っていくかもしれない」



 映画「三丁目の夕日」では、青森から集団就職で上京し、住み込みで女の子が働く姿も描かれていました。

 また、永井 荷風は幼少期に祖母に預けられていたとのこと。


 子どもが親の家計を助けるためだけでなく、社会勉強などのために奉公に出されることも、昔の日本ではありました。

 さまざまな形で、子どもが育つ場があったのではないでしょうか。もちろん、子どもを売るという悲しい話もあるかもしれませんが、「うちの子をよその家できちんと育ててもらう」というケースは珍しくなかったと考えられます。

 子どもを育てるのは両親だけではなかったのです。

 核家族化が進んだのは、1950年代に始まった高度成長期のことです。父親は企業に雇われて家の外で長時間働き、母親は専業主婦で家事と子育てを引き受けるという役割分担ができたのも、この頃です。
 今では当たり前と思われがちな家族像の歴史は、始まって100年もたっていないというわけですね。

 核家族とは、もしかすると、子育てをするうえでかなり不自然で、無理がある形態なのかもしれません。

 「家族だから~しなくてはならない」「親だから」「子どもだから」の枠を広げることで、引きこもりが長期化している「8050問題」にも小さな突破口ができるかもしれません。
 80代の親が、さまざまな事情で自立できない50代の子どもを抱え、「死ぬに死ねない」と苦悩しているケースが8050問題。苦悩の原因には、家という密室の中で、ほかの家に迷惑をかけずに問題を解決しなければならないと、問題を抱え込むことにあるでしょう。

 また、子どもの貧困についても、突破口になりうるかもしれません。「子どもを育てられるのは親だけ」「親の責任」という枠をいったん取り払うことが、子どもの将来の選択肢を広げるのではないでしょうか。

 こども食堂に関わっている方々とお話しする中で、そのように考えることもありました。


 親だって不完全な人間です。子どもを誰かに託すことは、決して恥でも、無責任なことでもありません。むしろ、歴史の中では自然な形かもしれません。

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