墓へのこだわりは高度成長期のトレンドの一種だったのかもしれない問題 その2
幼子を亡くした女がいた。
女は子どもの亡骸を抱いて「この子に薬をください」と言いながら、家々を訪ね歩いていた。そんな女に、ブッダのところに行きなさいと勧めた人がいた。
女はブッダに頼んだ。
「この子に薬をください」
ブッダは答えた。
「それだったら、まだ一度も死人を出したことのない家から、ケシの粒をもらってきなさい」
喜んだ女は、ケシの粒をもらうために何軒もの家を訪ねた。そのうち、死人を出したことのない家など一軒もないと、女は思い至った。
女は我が子を墓場に葬った。
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まだ幼い、かけがえのない子どもが死んでしまうなんて、母親にはとても受け入れられないことでしょう。そんな母親に、理屈ではない方法で死とは何かを伝えたブッダ。
こうした話が『ブッダとその弟子 89の物語』(著:菅沼晃 法蔵館)に収載されています。
紀元前500年に、インド北部にあった十六大国の一つのコーサラに属していた小国のカピラの王子シッダールタ、後のゴータマ・ブッダこと釈迦が仏教を開きました。
仏教では、魂が存在するとは考えられていません。死んで生まれ変わる輪廻から抜け出して、生まれ変わらなくなる解脱(げだつ)が、仏教の目的です。
長い歴史の中で、仏教に浄土という考え方が生まれました。念仏を唱えれば阿弥陀仏のいる西方浄土に生まれ変われる(往生)というのが浄土信仰です。
同じく長い歴史の中で、死者が往生するには、残された者、主に家族が供養しなければならないという考え方も生まれます。
その際に仏教と結びついたのが、儒教や道教だったと、宗教学者の島田裕巳氏は著書『お墓の未来』(マイナビ)で説明してます。
道教には「十王信仰」がありました。死者は地獄に落とされて、閻魔大王など10人の王に裁かれるという教えです。その裁きのために、生きている人間がよい行いをしようというのが「追善供養」の背景にあると、島田氏は述べていました。
加えて、「功過格(こうかかく)」といって、日常の行為を功(善)と過(悪)に分けて、点数化していました。このような考え方が仏教にも入ってきて、寺での読経やその際の布施が善とされたのです。
追善供養はさらには「先祖のたたり(祟り)」を生み出したとのこと。「子孫のせいで、死んだ後も地獄をさまよっているから、たたってやろう」と先祖が思うようになったという観念です。
また儒教には、子どもは親に尽くさなければならないという「孝」という考えがあります。
ちなみに位牌は、道教の習慣で、もともと仏教には存在しません。
儒教では、亡くなった先祖や孔子などの聖人の名前、官位などを記した木の板である「牌位(神主や木主とも)」に霊魂が宿ると考え、供養の対象として祀ります。
平安時代に牌位が日本に入ってきて、神道では神版・神牌、仏教では霊版・霊牌、そして一般的には位牌と呼ばれるようになったようです。
仏教には祖先や家を大事にする教えはありません。逆に、しがらみと煩悩から抜け出す思想です。
それが長い歴史の中で、村社会(村落共同体)・家社会の日本に入り、神棚には地域の神様である氏神などを祀り、仏壇には位牌を置く習慣ができてきました。
ちなみに、島田氏によると、墓参りの習慣や「先祖代々の墓」という形態が生まれたのは、戦後とのこと。背景には高度成長期の交通網の発達があるといいます。この時期に地方から都市へと人口が集中し、新幹線や飛行機といった交通手段が増えたことから、休みが取れる正月と盆に帰省するという習慣が生まれ、その際に墓参りもするようになったという流れです。
つまりは、長距離の移動が可能になったから、墓参りをするようになったということ。
また、火葬が普及してから、1つの墓に複数の遺骨を収蔵できるようになりました。棺桶ごと土の中に埋めて葬る場合は、「先祖代々の墓」は作れないということでしょう。
少子高齢化が進むだけでなく、外国人問題の一つとして、墓が注目されています。誰が「墓守」をするか、土葬は受け入れられるかなどを、長い歴史や地域性を踏まえつつ考えなければならないタイミングなのかもしれません。
■主な参考資料
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