「日本では火葬して、墓に納骨する」のは当たり前じゃなかった! 時代・地域によって大きく異なる葬法
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| 土葬された徳川家康が祭神の日光東照宮 |
今の日本では、遺体を葬る際に火葬が行われる率が99.97%と、「多摩・島しょ地域における火葬場の需給及び運営に関する調査研究報告書」に書かれていました。
そんなこともあって「日本は火葬して、墓に納骨するのが当たり前」とつい考えてしまいがちですが、『火葬と土葬』(著 岩田重則 青土社)を読むと事情が違うようです。遺体の埋葬と墓の場所が違う「両墓制」、火葬したらそのままにする(骨を拾わない)「無墓制」があり、筆者自身については子ども時代は土葬が行われる地域で過ごしていたとのこと。
人間の歴史を振り返ると、大昔はどこでも土葬(というか、ただ埋める)、あるいは遺体をほったらかしにしていたのではないかと推測できます。そして宗教の誕生とともに、葬法(遺体を葬る方法)が発達し、現在では大まかに次のスタイルになっています。
宗教と葬法
ヒンドゥ教、仏教 火葬
ゾロアスター教、チベット仏教 鳥葬
キリスト教、イスラム教、儒教、道教、神道 土葬
日本では、538年に百済から仏教が伝来し、火葬が行われるようになりました。日本で初めての火葬の記録は700年で、道照という僧の葬送の際だったと『続日本紀』に書かれています。703年には、持統天皇の火葬が行われました。
そのまま火葬が主流になっていったかというと、8世紀半ばから9世紀末にかけては土葬が増えました。10世紀になると火葬が増えるという感じで、どうやら時代ごとに流行した宗教なども関係したようです。
戦国武将の豊臣秀吉と徳川家康については、神として祀られるために、火葬ではなく遺体槨納を選びました。遺体槨納とは、石槨(せきかく)に遺体を納めて土に埋めることです。
肉体が残る土葬は、現世への再生の必須条件であった。
豊臣秀吉は豊国社、徳川家康は東照宮の祭神になりました。
慶長3年8月18日(1598年9月18日)に亡くなった豊臣秀吉の遺体は火葬されることなく[1]伏見城内に安置されていたが、死去の翌年の慶長4年(1599年)4月13日、遺命により東山大仏(方広寺)の東方の阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され(『義演准后日記』・『戸田左門覚書』)[2])、その麓に高野山の木食応其によって廟所が建立されたのに始まる。
豊臣秀吉や徳川家康をまねて(?)、天皇や大名、武家などが土葬を行うようになったとのこと。
『火葬と土葬』では、浄土真宗の事例がたくさん紹介されています。
浄土信仰では、西方極楽浄土への往生が願われます。亡くなった後に肉体が残ったままだと往生ができません。また、故人は西の極楽浄土に行っているため、遺骨を残しておく意味はないのだと考えられます。
死者は阿弥陀如来のもと西方極楽往生する、したがって、現世の子孫が死者を先祖とするための墓・位牌は不要である、という浄土真宗の狭義であった。墓がない無墓制は、その教義に忠実であることの証明であった。
死して、火葬され、ユートピアに赴く。それで終わりであった。
江戸時代までは仏教や神道などが入り混じった信仰(神仏混交)でしたが、明治維新で神道と仏教を切り離すこと(廃仏毀釈)になり、1868(明治元)年に神仏分離令が出されます。そして1873(明治6)年には、太政官布告で火葬が禁止されました。
こうして土葬に切り替えられたものの、埋葬地の不足など混乱が起こり、1875(明治8) 年には火葬禁止を解かれました。
日本の火葬率は、1913(大正2)年には31%、終戦後の1947(昭和22)年には54%、1979(昭和54)年には90%となっています。昭和の初め頃は、土葬が5割近くを占めていたということになります。
墓については、墓石の登場は江戸時代の初期で、板碑状(「かまぼこ型」)でした。墓石には個人の戒名(法名)が刻まれていて、「クラナリ家代々の墓」といった家名ではありませんでした。
「先祖代々の墓」が登場したのは江戸時代末期で、広まったのは明治以降のことです。
それがなぜかずっと昔から続いているように世間は錯覚している。これらはいわゆる『創られた伝統』と呼ばれるものですね
日本には、仏教が伝来して火葬が行われるようになってから、ずっと火葬を続けてきた地域もあれば、土葬と火葬を行き来(?)した地域もあり、「これが日本の葬式だ!」というものはなさそうです。
またキリスト教やイスラム教が主流の海外でも、葬法は変化していて、アメリカの火葬率は上がっているとのこと。
残念ではあるが、純粋な自生的文化がどれだけ存在するのだろうか。文化は、国家と社会の中枢、政治権力者とそれにつらなる階層、および、その情報伝達者によってはじまり構成される。
■主な参考資料
多摩・島しょ地域における火葬場の需給及び運営に関する調査研究報告書
【歴史学者インタビュー】火葬と土葬、両墓制に無墓制 墓と葬送の“多様すぎる日本史”
葬送儀礼とお墓②
明治期の葬送墓制における特徴の諸相
なぜ、日本は世界一の火葬大国になったのか
「土葬の国」は今は昔? アメリカ・ジャズ発祥の地で、タブーだった火葬が増えたわけ
キリスト教徒が多数派を占めてきた米国では長年、「最後の審判のときに死者が復活する」との教えに反すると、火葬がタブー視されてきた。そんな「土葬の国」で、火葬を選ぶ人の割合が増えている。北米火葬協会(CANA)によると、1970年に4.59%だった米国の火葬率は1990年に17.13%、2010年に40.5%と上昇。2016年に初めて5割を超え、2021年は57.5%だった。州差も大きく、2020年の最も高い州はネバダ(81.6%)。低い州はミシシッピ(29.0%)で、アラバマ(34.4%)、ケンタッキー(37.3%)、ルイジアナ(39.8%)と、保守的とされる南部の州が続く。
土葬用の土地がいっぱいある中東などと比べ、人口過密なジャワ島で土葬できるほど多くの墓地があるのでしょうか。
インドネシアの火葬事情|イスラム土葬文化で火葬が選ばれる背景と課題https://www.samsul.com/indonesia_culture/cremation.php#google_vignette
新型コロナで墓地の空地激減古い墓に重ねて埋葬か

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