1300年前の国府台の断崖絶壁を再現してみたいのだ 5 なんとも不思議な地形ができた原因は?

 地形図を見ると、東京が低地であることが明らかです。
東京の地形図 国土地理院地図より

 今から7000年前の縄文時代初期には、海面が現在より3~5メートル高くなり、 茨城県古河市辺りまで海、つまり「東京湾」だったとのこと。
 
 そして、約3000年前に海退が始まって、台地が潮の流れで削られて、その砂が海底にたまっていき「市川砂州」が発達したとされています。

 東京湾の奥のほうの潮の流れについて、反時計回りとのこと。千葉から横浜方向に流れています。

 そのため、現在の東船橋や海神の辺りの台地が削られて、東から西に土砂が運ばれ、市川砂州が形成されたと考えます。
砂州と砂嘴の用語の混乱より


 おそらく、市川砂州は小岩のほうまで伸びていたのでしょう。そのほうが、ブツッと途切れている現在の地形よりも、自然です。

 そんな状況を変えたのは、江戸川。
 あくまでも推測ですが、最初はもっと東側を流れていたのが、カーブし始めて、下総台地の側面に当たるようになったのでしょう。江戸川の蛇行によって、市川砂州も少しずつ削られ、小岩側の砂が南北に追いやられたということです。
 そして、江戸川によって削られた下総台地の土砂が積もって、現在の根本ができたと。

 なお、下総台地からは国分川や大柏川が水を運んできます。その水が市川砂州の北側にたまってくると、現在の根本橋の辺りから江戸川方向へと抜けたのでしょう(現在の真間川)。
市川市自然博物館サイトより



 今から1300年前は、埋め立てや堤防がなかったため、「東京湾」の範囲がもっと広かったと推測できます。
 三番瀬は「せんばんせ」ではなく「さんばんぜ」で、みんなが思っているよりも実は広い問題で取り上げましたが、三番瀬とは、水深5メートルよりも浅い範囲がおよそ1800ヘクタールも広がっている範囲(干潟)です。

 三番瀬のような光景が、今から1300年前の市川砂州の南側には広がっていたのでしょう。住居を建てるには不向きな土地だったと考えられます。
海面が低下して河口の平野が拡大するのとともに、海辺に住む人間の居住地も前進してきました。現在の三番瀬周辺の低地の人間居住の文書記録は、平安時代が最古です。

三番瀬の歴史https://www.pref.chiba.lg.jp/kansei/sanbanze/keii/documents/101rekishi.pdf


 「真間の入り江」は現在の根本橋の辺りで、市川砂州の南側は浅瀬が広がる海と干潟、そして湿地帯。
 そんな真間の入り江は江戸川の水、東京湾の潮流、国分川や大柏川からの水(真間川)が複雑に入り交じり、時間や場所で水の流れがかなり変化したと考えられます。

  1300年前の国府台の断崖絶壁を再現してみたいのだ 4 東京ドーム8個分の崖崩れが起こった? では、なんとも不思議な地形が浮かび上がったのですが、原因は東京湾の潮流と江戸川にあるのかもしれません。

国土地理院地図、一部改変

 江戸川については、江戸時代の1594年に始まった利根川東遷で大きく様変わりしたようです。現在の地形から、1300年前の光景を想像するのは、非常に難しいのでしょう。妄想するしかありませんね。
国土交通省 関東地方整備局 利根川下流河川事務所サイトより


利根川東遷前の河川の様子 国土交通省江戸川河川事務所サイトより

 『クラナリ』は学術研究とは無縁の、純粋にエンターテイメントの立場で、1300年前の国府台の断崖絶壁を再現してみたいと考えています。
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