市川ご当地ヒロインプロジェクト『崖の巫女』最終話 新しい崖の巫女の誕生

 「隙あり!」
 突然、後ろから声がしたと同時に、由那のひざがガクッと折れ曲がり、前によろけてしまった。


「えっ? なんで、ひざカックン……?」
 振り向くと、婆さまがニヤッと笑っていた。
「ひーっ! 妖怪!」
 由那が悲鳴を上げると、婆さまは不機嫌になった。
「伝説の美女に対して妖怪とは! 失礼な!」
「じゃあ、魂?」
「違う。生身の人間じゃ」
「まさか、生きているの!」


 由那はまじまじと婆さまを眺める。真っ白な髪。しわくちゃな顔。丸まった背中。千三百年前の婆さまと変わらない。
 ただ、服装だけが今の物である。
「えっと……、今、おいくつで……?」
「初対面で女性に年齢を聞くとは、失礼にも程がある」
 婆さまはさらに不機嫌になった。


「婆さま、お久しぶりです」
 テコナがベンチから立ち上がって、婆さまに近寄った。
「若いテコナよ、お前は千国の呪者と一緒になって、子をなしたのだったな」
「はい、幸せに暮らしました」
「で、霊魂だけ残っているというのは……。理由はわかっているんだな」
「はい」
 そう言って、テコナがグイッと由那のほうに顔を向けた。
「崖の巫女の引き継ぎができなかったから、魂だけが残ってしまったの。だから私の子孫である由那に引き継ぎたいの」


 崖の巫女? 子孫? 引き継ぎ? ええ??
 慌てる由那に、婆さまが声をかけた。
「崖の巫女は、代々、龍の玉を引き継ぐ。その魂は不滅。鍛錬も欠かさなければ肉体も不滅。日々、鍛錬に励んできたから、こうしてワシは千年以上も生き続けられるのだ。どうだ、由那も試してみるか?」
「いえ。遠慮しておきます」
 由那は即答した。千五百年も生きるなんて、たまったものではない。


 すると、テコナが目頭を押さえながら、涙声で話し始めた。
「私の子どもが男の子だったから、龍の玉を引き継げなくて……。それに千国には崖の巫女の素質を持った女の子がいなかったから、けっきょく、私は死ぬまで龍の玉を持ち続けることになったの……」
 婆さまがテコナに近寄り、慰めるように肩を抱いて続けた。
「あのときは、仕方がなかった。だから、龍の玉を宿したまま死んだ若いテコナは、崖を出ていったときの姿で魂が残り、引き継げる子孫をここで千三百年も待っていったわけだな」
「はい……」


 由那は、自分が悪者になった気がした。
「あ、あの、龍の玉って、何?」
「タイムスリップしたときに、テコナの体から青い光が出てきたのを見ただろう? あの光の元が龍の玉だよ。玉で崖の巫女は龍の力を借りているんじゃ」
 婆さまはテコナの肩を抱いたまま、答えた。
「あの光で、テコナは助かったんだったね」
「そうじゃ。論より証拠。ちょっと龍の玉を見てみるかい?」
 由那も、あの光の正体が気になっていたので、婆さまの提案にうなずいた。
「じゃあ、若いテコナ。龍の玉を出してみなさい」
 婆さまは、テコナの肩をたたいて、そっと離れた。


 テコナは涙を拭いて、姿勢を正した。
 目を閉じ、ゆっくりと息を吸い込んだ。そして胸に両手を当てて、フーッと口から空気を吐き出す。その空気の中に、白い蒸気のようなものがクルクルと回っている。回りながら、やがて小さなシャボン玉のような形に変化した。
 由那は、思わず透明な玉をのぞき込んだ。龍の玉はクルクルと回り続けている。
「これが、龍の玉?」
 テコナにしゃべりかけようと、由那が口を開いた瞬間だった。唇のわずかな隙間から、龍の玉がスルッと口の中に入り込んでしまったのだ。
「うそー!」
 由那もテコナも、同時に声を上げて驚いた。


 由那は口を開けて、その中をテコナが確かめたのだが、龍の玉はない。ということは、由那の体に入ってしまったわけだ。
 二人で焦っているうちに、テコナの姿は空気に溶けていくように薄くなっていく。龍の玉の力が切れて、人の形を保つことができなくなっていた。
「ちょっとよくわからないんだけど、由那、龍の玉を引き継いでくれてありがとう」
 テコナは晴れやかな笑顔だった。
 これを「無事に成仏」というのだろうか? 何はともあれ、先祖が喜んでくれているのだから、由那はよしとすることにして、テコナの姿が消えていくのを見守った。


「引き継ぎ終了。じゃ、新しい崖の巫女ということで、連絡先を交換しよう」
 婆さまは、由那にグイグイと近づいてきた。手にはスマホが握られている。
 婆さまがスマホ? 連絡先を交換? 混乱は深まる一方だが、言われるがまま、由那はバッグからスマホを取り出して、アプリを立ち上げ、婆さまと連絡先を交換した。
「婆さまがスマホを使っているなんて……」
「最先端のテクノロジーを使いこなすのも、大人の女のたしなみじゃ」
 婆さまはニヤッと笑った。
「龍の玉は、ようやく肉体を持つ者に還(かえ)ることができた。よかった、よかった。これから一人前の崖の巫女になるために、ワシが鍛えてやろう」

「えーっ! 聞いていませんよ!」
 こうして、由那は崖の巫女として、一歩踏み出すことになったのである。



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「真間の手児奈」とは、千三百年前に、里見公園の集落「崖」で暮らしていた、八人の巫女である。二つの国の緊張関係の間(はざま)で、集落の住民と聖地を守るために、あの手この手を使ってきた、したたかな少数部族ともいえる。そんな崖の巫女は、なぜだか絶世の美女という話に変換され、自ら命を絶ったことになっているが、そんなはずはない。実は龍のかごを受け、歴史の裏側でひっそりと現代まで生き延びているからだ。

この話は「崖の巫女 青い龍と黒鬼(こっき)」に続く。




※ローカルメディア『クラナリ』では、市川ご当地ヒロインプロジェクト『崖の巫女』の一環で、市川市に関係する事柄を調べています。ヒロインの巫女たちが行徳の塩業や大野の平将門伝説などとも関わりながらストーリーが展開します。

※市川ご当地ヒロインプロジェクト『崖の巫女』すべてフィクションです。あくまでも作り話として楽しんでもらえたら幸いです。


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