市川ご当地ヒロインプロジェクト『崖の巫女』始動
ローカルメディア『クラナリ』を小休止して、本業にいそしむ(振り回される)と同時に、市川ご当地ヒロインプロジェクトを始めておりました。
その名も、『崖の巫女』。
市川市民にはおなじみの話ではありますが、真間という地名の語源は「崖」といわれています。そして、故・今井福治郎博士(文学、元和洋女子大学教授)のお話の中で、手児奈は巫女だという説がありました。
つまりは崖の巫女イコール真間の手児奈なのです。
各方面からこうした説を集めてくると同時に、手児奈が生きていたとされる時代の風俗などを調べたところ、あまり愉快ではない状況を想像してしまいました。「人権」という概念や言葉がなく、今では考えられないような、むごい出来事も多々あったと考えられるからです。
そこで、「伝説の裏話は意外なところに!」という視点から、愉快でファンタジーな完全フィクションへと方向転換をさせて、『崖の巫女』で新しいヒロインを誕生させようと試みています。
「ヒロイン」というと、多くの人がうっかり萌えをイメージしてしまうでしょうが、そこは愉快な方向、かつ超高齢化社会の日本の実情を反映させたキャラクターとなっています。
また、資料を当たる中で、手児奈の時代の庶民の服装は貫頭衣だったのではないかと推測しました。
ヒラヒラした服装だと、水を汲んだり採取したりといった作業がしにくいからです。この辺の風俗の情報も、きちんと残っていないのが実情。想像するしかありません。
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=84134696 |
ただ、『成田参詣記』に描かれている手児奈は、実物とはかけ離れているんじゃないかと思っております。いくら情報が乏しいとはいえ。
『成田参詣記』 |
そして、石母田正(いしもだしょう)氏、網野善彦(あみのよしひこ)氏、小谷野敦(こやのあつし)氏の著作を斜め読みし、素人なりに、「当時の世界の中心は中国の都」と設定しました。
日本海については、演歌の関係で「荒れる」というイメージが抱かれやすいのですが、それは冬だけの話。実際、私が夏に旅行したときには、とても穏やかだった記憶があり、中国と日本の間では舟で頻繁に行き来があったと考えました。海路で、中国と日本は密接につながっていたということです。
中国の都が世界の中心だとしたら、日本の中でも房総半島は「行きにくい場所」となります。飛騨山脈などの山脈を超えなければならないからです。
https://twitter.com/edohakugibochan/status/1459793302446690306 |
そんなこんなをギュッと詰め込んで、市川市ならではのご当地ヒロインのアウトラインを『崖の巫女』というフィクションで完成させようとしているいるところです。
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