市川大百科事典 み 神輿 みこし

神輿 みこし

葛飾八幡宮三十三周年式年大祭の神輿

市川歴史博物館で撮影

 神輿の「神」は神様で、「輿」は高貴な人を乗せて担ぐ乗り物である。よって、神様を乗せて運ぶのが神輿で、神社を模した形になっている。

アイ・リンクタウン展望施設に展示されている神輿を撮影(以下、同)

 奈良時代の天平17年(745年)に、今の奈良県で、東大寺の大仏の制作が始まった。
 そして、天平勝宝4年(752年)の大仏開眼法要では、大分県の宇佐神宮から八幡大神が紫色の輿に乗って東大寺にやって来た。これが神輿を用いた始まりといわれている。

 その後、神事や遷宮などで神様が別の場所に移動する際に、神輿は使われていた。

 祭りが、庶民にとってなじみのあるものになっていったのが江戸時代。町人たちが、祭りでは山車を引いて町内を練り歩くようになった。
 町中に電線が張り巡らされるようになった明治以降は、山車の代わりに神輿が巡行するようになった。
 
※武蔵大学 人文学部の福原敏男教授は、江戸時代の祭りでは、町神輿(氏子町会が持つ神輿)は出ておらず、山車(だし)で行列していたと説明している。〈2022/09/13〉


 担ぎ方はさまざまで、基本的に上下に揺する。これは神様を目覚めさせて、願いをかなえてもらうためといわれている。



○構造

屋根

胴(どう)

台輪(だいわ) 土台に当たる

○製作に関わる職人
神輿師 全体の姿を決める
木地師(きじし) 神輿の骨格を作る
錺師(かざりし) 彫金を行う
鋳物師(いもじ) 金属を溶かし、鋳型に流し込んで形を作る
塗師(ぬじ) 屋根などに漆を塗る
彩色師


○錺(かざり)
神社を模して作られていて、ミニチュアの鳥居や駒札(こまふだ 将棋の駒のような形をした立て札)などの装飾がなされている。
鳥居
獅子鼻
ご神体の鏡
駒札

鳳凰(ほうおう) 中国で尊ばれた伝説上の鳥で、神輿の屋根の上の装飾


瓔珞(ようらく) 御簾のような役割を果たす装飾

参考資料


森 真希 2022/07/08、2022/09/13修正



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