市川駅南口アーケード街を巡る時間旅行 その12 何もなかった南口

  写真と違ってイラストのおもしろい点は、描き手の主観がグイッと表れているからですよね。

 見てください、松井天山の「千葉縣市川町鳥瞰」。


『松井天山の鳥瞰図と市川市域 市制施行80周年記念平成26年度企画展』より

 1928年(昭和3年)に発行されたものですが、市川駅南口から北越製紙までの距離が短い!  横線で省略されている!!
 北口の描き方と大違いです。

『松井天山の鳥瞰図と市川市域 市制施行80周年記念平成26年度企画展』より



ほんっとに、何もない。

 そんな松井天山の気持ちが伝わってくる鳥観図です。

 大洲神社にも「人煙稀な葦原」と由来に書かれていたのですが、まさにそのとおりですね。

 それから25年後になると、かなり住宅が建っていて、道もできています。

『カメラが撮らえた 千葉県の昭和』(『歴史読本』編集部 中経出版)より
1944~1954年の市川駅南側(今昔マップ)


 1945年(昭和20年)に太平洋戦争(第二次世界大戦)が終わりました。戦争で東京から焼け出された人が市川にやって来て、人口が増えたという報告がありました。その影響で、市川駅の南側の様子も大きく変わったのでしょう。

 おそらく、1928年から1945年を市川駅の南側で過ごした人は、「人煙稀な葦原」にどんどん家が建っていっても、町の変化に気づかぬまま、日々の暮らしを営んでいたのでしょう。
 そして、今を生きる私たちも気づいていないのですが、町はどんどん様子を変えていっているのかもしれません。
 古い地図は、「今がすべてではない」ということに気づかせてくれます。

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