【アランチャ・ドレッシング代表 田中和子さんインタビュー】「おいしい!」に背中を押されて専業主婦から創業者へ
真間の閑静な住宅街の中、ごく普通の家のキッチンと、駐車スペースにある小さな建物で、市川市内外でも評判の「アランチャ・ドレッシング」が今日も作られています。
創業者である田中和子さんは、2人の子どもを持つママ。実は「子育て」と「ママ友」が、アランチャ・ドレッシングの歴史に大きな意味を持っているのです。
おすそ分けから
おいしいと評判に
田中さんは生まれも育ちも広島。お父さんが畳職人で、お母さんが「アランチャ」というイタリアンレストランを経営していました。田中さんはお母さんのお店でホール担当として働く傍ら、仕込みなどの手伝いを2年ほどやっていたそうです。
そして1990年に結婚。市川市に引っ越してきて、菅野のマンションに住み、2人の子どもに恵まれました。
「結婚してからは専業主婦でした。近所に住んでいた義理の父の食事を作ってあげて、あとは週に2~3回のバイト程度でしたね」と田中さん。
実家のレストランから特製ドレッシングを送ってもらい、自宅でサラダにかけて出したところ、子どもたちがパクパクと野菜を食べてしまったそうです。「野菜嫌いの子どもにもいいかも」と、公園で出会ったママ友におすそ分けしたら、おいしいと評判になりました。
その後、真間にマイホームを建てて引っ越したところ、菅野だけでなく、新たに子どもが通うようになった幼稚園のママ友からも「お金を出すから、ドレッシングを分けてほしい」とリクエストが届くようになったのだそうです。
「『おいしい』と言ってもらえるのがうれしくて、広島から送ってもらっていました。ただ、その量が1カ月に40本になってしまい、実家に負担をかけていたんです」
当初は実家のドレッシングを取り寄せて販売していたのですが、それでは間に合わない状況になりました。そこで、自分でドレッシングを作って販売することに決めたのでした。
その背景には、もう一つの出来事がありました。
「夫が突然倒れたんです。まだ40代で、マイホームのローンが始まるというタイミングでした。
私も一緒に救急車に乗ったんですが、救急隊員の方が大声で『寝ちゃだめですよ』と何度も夫に呼び掛けている姿を見て、人間、いつ、何が起こるのかわからないと強く実感しました。
だから、夫にだけ頼ることはできないし、私も何らかの形で収入があったほうがいいと思ったんです」
幸い、田中さんの夫は一命を取り留め、仕事にも復帰しました。田中さんがドレッシングを商品化することに、どのような考えを持っていたのでしょうか。
「夫の母は、手に職を持って仕事をしてきた人でした。そんな環境で育っているので、結婚した後も『やりたいことがあったら、やっていいよ』と言ってくれていました」
田中さんが忙しいときには、皿を洗ってくれたり、掃除をしてくれたり、家事を率先して引き受けてくれるのだそうです。「実は私は掃除が苦手で。夫がやってくれたほうが、家がきれいになるんですよ」と田中さんは笑っていました。
スタッフとして
ママ友が働く
子育てと家事の合間に保健所に行ったり、レシピを研究したり、ボトルやラベルを検討したり、少しずつ作業を進め、第二子が幼稚園に入園した2003年にオリジナルドレッシングを商品化しました。
「家のキッチンで、普通のボウルとハンドミキサーを使って、子どもたちが幼稚園に行っている9時から14時までの間にドレッシングを作っていたんですよ。1人だから、どんなにがんばっても1日5~6本が限度でした」
食品の販売経験もない田中さんだったので、材料費プラス100円の1本400円ぐらいで、ドレッシングを販売することにしました。この値付けが、後々、田中さんを悩ませることになります。
2006年頃、ママ友が手伝ってくれるようになったことがきっかけで、少しずつスタッフが増えていきました。
「バイトに来てもらうわけですから、千葉県の最低賃金を調べて時給として渡していました。そうすると、私の分の給料が出なくなってしまうんですよ」
田中さん自身の時給は500円程度にしかならないとのこと。大変ですが、ドレッシングの値上げもやりにくいと言います。
また、食料品店などでドレッシングの委託販売も行うことが決まりました。その委託料は田中さんが交渉しなければなりません。
「もともと利益が少ないから、委託料をそんなに払えないんです。だけど、なかには強引に『お願いします』と押し切られたときもあって。女だからなめられているのかなと思ったこともありました」
頼まれるとなかなか断ることができない田中さん。一緒に働いてくれるママ友が「何でも引き受けちゃだめよ」とピシリと意見を言ってくれるのだそうです。仲間がいるというのは頼もしいことです。
自宅キッチンだと手狭になり、駐車スペースに作業場兼販売所を建てたのは、2011年でした。
「最初はどこか借りようと思ったんですけど、家賃が高くて。駐車場を借りるほうが、1桁安く済みますからね」
市川商工会議所と提携している日本政策金融公庫から約100万円の融資を受けて建物を建て、水道と電気は自宅から引いてきて、給湯用としてプロパンガスを置きました。このときの融資は、すでに返済が終わったそうです。
現在、バイトに来てくれるのは6名。全員がママ友やママ友の紹介で、これまで人材で困ったことは一度もなかったのだそうです。「私は人に恵まれてきたんですよね」と田中さんは話していました。
頼まれるうちに
ラインナップが増えていく
ドレッシングのラインナップが少しずつ増えているのですが、これも断るのが苦手な田中さんの人柄が関係していました。
「市川商工会議所が主催するイベントに出店した後で、『市川の梨を使ったドレッシングを作ってくれないか』と頼まれたんです。えー、梨でできるかなと思ったんですけど、引き受けてしまって」
開発に2年をかけて出来上がったのが「梨の爽やかドレッシング・瀬戸内レモン入り」です。その後、またも市川商工会議所から「市川のトマトでも作ってほしい」とリクエストが入り、「トマト塩麴ドレッシング」が誕生。
最近では、北国分に住むお客さんから「うちで採れたナツハゼを使ってほしい」と頼まれ、「ナツハゼベリードレッシング」が出来上がりました。ナツハゼはブルーベリーの仲間で、実をジャムなどにして食べることが多いようです。
「梨のときもトマトのときも、スタッフから『無理でしょ!』という声が出ました。ナツハゼもそうだったんですが、結局は一緒に作ってくれました」
仕事の分担として、レシピを考案したり、注文を受けたり、材料を仕入れたり、納品したりするのは主に田中さん。ドレッシングを作ったり詰めたりするのは、スタッフが行っているのだそうです。
ちょっと気になったのは、田中さんが片足を引きずるように歩いていること。
「3年ほど前から、股関節が痛むようになったんです。病院で診察してもらうと、太ももの骨にかぶる股関節が浅いみたいで『変形性股関節症』と診断されました」
自宅キッチンで仕込んだトマトピューレなどを作業場に運んだり、重い荷物を持ち上げたりする作業が、田中さんの体に負担をかけているようです。
16年にわたり、さまざまな工夫で赤字を一度も出さずにアランチャ・ドレッシングを経営してきた田中さん。体のことも考えて、今は、仕込みから包装まで1カ所でできるように、広い物件を借りることを検討しているそうです。
「卸しではなく、直接販売に力を入れていきたいんです。家賃はかかるけど、これからもその場その場でなんとかやっていければいいかなあと思っています」
ドレッシングを口にした人たちの「おいしい」「ありがとう」という喜びの声が、田中さんを支えてきました。こうした人の縁は、子どもたちが結んでくれたものでした。
「娘が大学生なんですけど、配達などを手伝ってくれて、『ここに就職しようかな』なんて言ってくれるんですよ」
田中さんがお母さんから受け継いだレシピは、発展しながら「アランチャ・ドレッシング」というブランドに成長して、引き継がれるのかもしれません。
アランチャ・ドレッシングは、市川産の梨やトマト、タマネギ、そして青森県の田子町産のニンニクなど、素材の産地にもこだわり、合成保存料・化学調味料・香料を使っていない。アランチャオリジナルドレッシングのほか、塩麹マスタードドレッシング、中華風ドレッシング、梅しそドレッシング、黒ごま落花生ドレッシング、ナツハゼベリードレッシング、梨の爽やかドレッシング・瀬戸内レモン入り、トマト塩麴ドレッシング、梨のたれがある。
創業者である田中和子さんは、2人の子どもを持つママ。実は「子育て」と「ママ友」が、アランチャ・ドレッシングの歴史に大きな意味を持っているのです。
おすそ分けから
おいしいと評判に
田中さんは生まれも育ちも広島。お父さんが畳職人で、お母さんが「アランチャ」というイタリアンレストランを経営していました。田中さんはお母さんのお店でホール担当として働く傍ら、仕込みなどの手伝いを2年ほどやっていたそうです。
そして1990年に結婚。市川市に引っ越してきて、菅野のマンションに住み、2人の子どもに恵まれました。
「結婚してからは専業主婦でした。近所に住んでいた義理の父の食事を作ってあげて、あとは週に2~3回のバイト程度でしたね」と田中さん。
実家のレストランから特製ドレッシングを送ってもらい、自宅でサラダにかけて出したところ、子どもたちがパクパクと野菜を食べてしまったそうです。「野菜嫌いの子どもにもいいかも」と、公園で出会ったママ友におすそ分けしたら、おいしいと評判になりました。
その後、真間にマイホームを建てて引っ越したところ、菅野だけでなく、新たに子どもが通うようになった幼稚園のママ友からも「お金を出すから、ドレッシングを分けてほしい」とリクエストが届くようになったのだそうです。
「『おいしい』と言ってもらえるのがうれしくて、広島から送ってもらっていました。ただ、その量が1カ月に40本になってしまい、実家に負担をかけていたんです」
当初は実家のドレッシングを取り寄せて販売していたのですが、それでは間に合わない状況になりました。そこで、自分でドレッシングを作って販売することに決めたのでした。
その背景には、もう一つの出来事がありました。
「夫が突然倒れたんです。まだ40代で、マイホームのローンが始まるというタイミングでした。
私も一緒に救急車に乗ったんですが、救急隊員の方が大声で『寝ちゃだめですよ』と何度も夫に呼び掛けている姿を見て、人間、いつ、何が起こるのかわからないと強く実感しました。
だから、夫にだけ頼ることはできないし、私も何らかの形で収入があったほうがいいと思ったんです」
幸い、田中さんの夫は一命を取り留め、仕事にも復帰しました。田中さんがドレッシングを商品化することに、どのような考えを持っていたのでしょうか。
「夫の母は、手に職を持って仕事をしてきた人でした。そんな環境で育っているので、結婚した後も『やりたいことがあったら、やっていいよ』と言ってくれていました」
田中さんが忙しいときには、皿を洗ってくれたり、掃除をしてくれたり、家事を率先して引き受けてくれるのだそうです。「実は私は掃除が苦手で。夫がやってくれたほうが、家がきれいになるんですよ」と田中さんは笑っていました。
スタッフとして
ママ友が働く
子育てと家事の合間に保健所に行ったり、レシピを研究したり、ボトルやラベルを検討したり、少しずつ作業を進め、第二子が幼稚園に入園した2003年にオリジナルドレッシングを商品化しました。
「家のキッチンで、普通のボウルとハンドミキサーを使って、子どもたちが幼稚園に行っている9時から14時までの間にドレッシングを作っていたんですよ。1人だから、どんなにがんばっても1日5~6本が限度でした」
食品の販売経験もない田中さんだったので、材料費プラス100円の1本400円ぐらいで、ドレッシングを販売することにしました。この値付けが、後々、田中さんを悩ませることになります。
2006年頃、ママ友が手伝ってくれるようになったことがきっかけで、少しずつスタッフが増えていきました。
「バイトに来てもらうわけですから、千葉県の最低賃金を調べて時給として渡していました。そうすると、私の分の給料が出なくなってしまうんですよ」
田中さん自身の時給は500円程度にしかならないとのこと。大変ですが、ドレッシングの値上げもやりにくいと言います。
また、食料品店などでドレッシングの委託販売も行うことが決まりました。その委託料は田中さんが交渉しなければなりません。
「もともと利益が少ないから、委託料をそんなに払えないんです。だけど、なかには強引に『お願いします』と押し切られたときもあって。女だからなめられているのかなと思ったこともありました」
頼まれるとなかなか断ることができない田中さん。一緒に働いてくれるママ友が「何でも引き受けちゃだめよ」とピシリと意見を言ってくれるのだそうです。仲間がいるというのは頼もしいことです。
自宅キッチンだと手狭になり、駐車スペースに作業場兼販売所を建てたのは、2011年でした。
「最初はどこか借りようと思ったんですけど、家賃が高くて。駐車場を借りるほうが、1桁安く済みますからね」
市川商工会議所と提携している日本政策金融公庫から約100万円の融資を受けて建物を建て、水道と電気は自宅から引いてきて、給湯用としてプロパンガスを置きました。このときの融資は、すでに返済が終わったそうです。
現在、バイトに来てくれるのは6名。全員がママ友やママ友の紹介で、これまで人材で困ったことは一度もなかったのだそうです。「私は人に恵まれてきたんですよね」と田中さんは話していました。
駐車スペースに建つ作業場兼販売所 |
張り紙で商品が紹介されていました |
頼まれるうちに
ラインナップが増えていく
ドレッシングのラインナップが少しずつ増えているのですが、これも断るのが苦手な田中さんの人柄が関係していました。
「市川商工会議所が主催するイベントに出店した後で、『市川の梨を使ったドレッシングを作ってくれないか』と頼まれたんです。えー、梨でできるかなと思ったんですけど、引き受けてしまって」
開発に2年をかけて出来上がったのが「梨の爽やかドレッシング・瀬戸内レモン入り」です。その後、またも市川商工会議所から「市川のトマトでも作ってほしい」とリクエストが入り、「トマト塩麴ドレッシング」が誕生。
最近では、北国分に住むお客さんから「うちで採れたナツハゼを使ってほしい」と頼まれ、「ナツハゼベリードレッシング」が出来上がりました。ナツハゼはブルーベリーの仲間で、実をジャムなどにして食べることが多いようです。
「梨のときもトマトのときも、スタッフから『無理でしょ!』という声が出ました。ナツハゼもそうだったんですが、結局は一緒に作ってくれました」
仕事の分担として、レシピを考案したり、注文を受けたり、材料を仕入れたり、納品したりするのは主に田中さん。ドレッシングを作ったり詰めたりするのは、スタッフが行っているのだそうです。
ちょっと気になったのは、田中さんが片足を引きずるように歩いていること。
「3年ほど前から、股関節が痛むようになったんです。病院で診察してもらうと、太ももの骨にかぶる股関節が浅いみたいで『変形性股関節症』と診断されました」
自宅キッチンで仕込んだトマトピューレなどを作業場に運んだり、重い荷物を持ち上げたりする作業が、田中さんの体に負担をかけているようです。
16年にわたり、さまざまな工夫で赤字を一度も出さずにアランチャ・ドレッシングを経営してきた田中さん。体のことも考えて、今は、仕込みから包装まで1カ所でできるように、広い物件を借りることを検討しているそうです。
「卸しではなく、直接販売に力を入れていきたいんです。家賃はかかるけど、これからもその場その場でなんとかやっていければいいかなあと思っています」
ドレッシングを口にした人たちの「おいしい」「ありがとう」という喜びの声が、田中さんを支えてきました。こうした人の縁は、子どもたちが結んでくれたものでした。
「娘が大学生なんですけど、配達などを手伝ってくれて、『ここに就職しようかな』なんて言ってくれるんですよ」
田中さんがお母さんから受け継いだレシピは、発展しながら「アランチャ・ドレッシング」というブランドに成長して、引き継がれるのかもしれません。
田中さんのキャリア・シフト |
アランチャ・ドレッシングは、市川産の梨やトマト、タマネギ、そして青森県の田子町産のニンニクなど、素材の産地にもこだわり、合成保存料・化学調味料・香料を使っていない。アランチャオリジナルドレッシングのほか、塩麹マスタードドレッシング、中華風ドレッシング、梅しそドレッシング、黒ごま落花生ドレッシング、ナツハゼベリードレッシング、梨の爽やかドレッシング・瀬戸内レモン入り、トマト塩麴ドレッシング、梨のたれがある。
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