「自分の意見を誰かに聞いてもらう」「本心を示唆してもらえる」環境が、住みやすい街づくりにつながる

 既存の仕組み・施設に、プロの市川市民の経験・知識を掛け合わせて新しい仕事を作るに書きましたが、待機児童を減らすために受け入れ人数だけを増やしていけば、児童から暴力を振るわれる指導員も増える可能性があると個人的に感じています。
 私は学童保育で大柄の児童が指導員(若い女性)の顔に殴りかかっている光景を見ましたし、ママ友は「荒れているから、子どもが行きたがらない」と話していました。

 加えて、子どもが保育園に通っていた頃、保育士の方との立ち話で「子どもの人数が増えすぎると、やっぱりルールを守らせるのが難しいですね」と聞いていました。

 ですから、行政のサービスとして学童保育の受け入れ人数を増やすだけでなく、地域の大人たちが子どもを見守るような仕組みが必要ではないか、子ども会の活動などにも期待ができないかと思うようになりました。
 そのためにも、保護者だけでなく地域の大人が子どもを見守る「ナナメの人間関係(By 藤原和博氏)」を築くのが理想。

 このナナメの人間関係が、保護者にも必要かもしれません。
 「モンスターペアレント」と呼ばれている人々の心の背景に「孤独」を感じるのです。


 「孤独」対策としての生業で取り上げた「ワイドショーで道路を私物でふさぐ迷惑おじいさんや、大音量を発生させる迷惑おばさん」と通じるものが、モンスターペアレントにあります。
 声が大きく、粘着気質で、自己中心的。
 彼らは「怒り」として表現していますが、隠れているのは孤独ではないかと推測しています。

 モンスターペアレントは、自分自身や我が子に関する悩みを誰かに聞いてもらったり相談したりすることなく、いきなり学校などに出かけて行動に移している可能性が高いと言えます。

 彼らの行動は周囲の保護者にあまり理解されず、むしろ悪評となってうわさ話で拡散していきます。
 結果として、モンスターペアレントがさらに孤独になるという悪循環を作り出しているわけです。

 学校側がモンスターペアレントに共感して、親身になれば、問題は解決するという意見もネット上で散見しました。
 しかし、ただでさえ忙しい教師に、そのような時間を作る余裕はあるのでしょうか、私は大いに疑問です。
 さらに、教師とモンスターペアレントが親しすぎると、おかしなうわさ話を生み出す危険もあるでしょう。

 あくまでも私の経験ですが、モンスターペアレントは反社会的な人ではありませんでした。
 むしろきちんとした印象を与え、向上心もあるように見受けられたのです。その向上心が空回りしてしまう。
 理由は、モンスターペアレントに「ママ友」「パパ友」といった親しい人はいても、悩みを打ち明けるには至らなかったり、怒りという火に油を注ぐような共感するそぶり(表面的)を見せられたりしているのではないでしょうか。

 「自分の意見を誰かに聞いてもらう」「本心を示唆してもらえる」場所を増やしていく必要性があるかもしれません。そうなれば、私たちは激しい孤独を感じることもなく、暴力的な言動を取らなくても済むからです。

 「市川で暮らしと生業をつくるLab」ワークショップでも、「もっと人間関係を作りたい」というニーズが浮かび上がりました。
 私たちが市川で切望しているのは、「自分の意見を誰かに聞いてもらう」「本心を示唆してもらえる」環境なのかもしれません。
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