勝手にパワースポットその12 稲荷神社、宝神社

稲荷神社
〒272-0034 市川市市川3-23




宝神社
〒272-0033 市川市市川2-9-4





 JR市川駅の周辺には、膨大な数のお稲荷さん(稲荷神社)があります。
 道端や住宅の敷地内など場所もさまざま。
 小さな祠から拝殿のある神社まで規模もさまざま。

 神社本庁のサイトによれば、お稲荷さんの祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
 稲の生育に関係する神様だそうです。

 JR市川駅周辺では、もともとお稲荷さんがあったところに別の神様を勧請した神社もあるようです。多くの場合は、神社の敷地内にお稲荷さんの祠が残っています。

 市川南にある宝神社については、宝製薬の工場敷地内にあった宝稲荷神社の拝殿を1956年に譲り受けたものだそうです。

 宝神社でもちつきや豆まきが行われている様子を見かけたことがあります。神社で地域活動が活発に行われているようです。
 立派な鳥居が目印です。


 『クラナリ』編集人が見たお稲荷さんについては、狛犬の代わりにキツネがいることがほとんどでした。
 古くからキツネは神様の使いとされていて、『しゃばけ』シリーズ(畠中恵、新潮社)でもキツネが登場します。
 キツネの好物といわれている大きな油揚げが東京・月島の稲荷神社に供えられていて、びっくりしました。

 稲荷神社も宝神社も人の手が行き届いていましたが、ときどき荒れ果てた祠を見かけることがあります。
 お稲荷さんについては、江戸時代に「江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞」と言われ、どこにでもある物のたとえに使われたようです。
 あまりにもたくさんのお稲荷さんが創建されてしまって、人の手が行き届かなくなった祠も出てきたのでしょう。

 ここで問題になるのは、荒れた祠を私たちはどうしたらよいのかということ。
 以下は、勝手な解釈です。

 「日本のパワースポット」「しきたり」「神域」などの特集で、専門家を取材してきました。
 専門家に取材する中で「墓参りなどをせずに先祖をほうっておくと祟られるという話がありますが、そのようなことはあるのでしょうか」と尋ねたことがあります。
 すると専門家は、次のように応えました。

 「あなたは自分の子孫に何を望みますか。子孫の幸せではないですか。親が子どもを思う気持ちと一緒で、ご先祖様はただただ私たちの幸せを願っているのです。ほうっておかれたせいで祟るなんて、ありえません」

 「水子の祟りというのもないのですか」と聞いたら、「当たり前です」と答えが返ってきました。

 「親が子どもを思うように、子どもも親のことを思っているのですよ」

 私はこの答えに納得しました。

 だから思うのです。
 わざわざ昔の人が屋敷の敷地などにお稲荷さんを祭ったのは、家族や子孫の幸せを願ってのこと。

 毎朝、お稲荷さんをきれいに掃除して、「家族みんなが幸せに暮らせますように」と手を合わせる。
 その行為によって「幸せになる」という思いを再確認し、思いをもっと強くしていく。
 「幸せになる」という強い思いが「家族を幸せにする」という行動を引き起こし、「幸せになった」という結果を出す。

 こうした行為・思い・行動・結果という流れの中で、お稲荷さんはパワースポットと変化するのかもしれません。
 長い年月の中でほうっておかれたら、パワースポットとして役割を果たさず、元の「ただの土地」に戻るだけです。
 ですから、ほうっておかれて荒れたとしても、お稲荷さんがその土地の人を祟るなど、考えられないのです。


 余談ですが、お守りや開運グッズが不要になったとき、どのように処分したらいいのかを風水師に取材したことがあります。
 風水師は「住んでいる地域の条例に従って、ゴミとして捨ててください。気になる場合は、塩をかけてから捨てましょう」とのこと。
 持ち主の思いが失われてしまったら、お守りや開運グッズは元の「ただの物」に戻るだけなのでしょう。
 「神社などに勝手に置いてきて迷惑をかけないように」と風水師はくぎを刺していました。

 「幸せになりたい」と願うのなら、神社を守っている人や参拝する人に迷惑をかけてはいけない気がしています。
 不要になった物を置く以外に、稲荷神社に油揚げを供えるのもトンビやカラスなどを呼ぶ可能性があり、鳥たちは神社などお構いなしにフンをまき散らすので周辺を汚すことになるでしょう。

 話を元に戻します。
 荒れた祠については、怖いからと寄り付かないのではなく、「これまでありがとうございました」とお礼を言って、元の「ただの土地」に戻せばいいのではないでしょうか。
 神社にフンをした鳥が大空を悠々と飛んでいるわけですから、人間も祟られることなどありません。
 私たちの「ほうっておくなんて、なんだか悪いことをしているなあ」という後ろめたい気持ちが、災難と結びついて祟りという説明をつけるのでしょう、

 祠をきれいにするのなら、祟られたくないという消極的な理由ではなく、自分や家族、地域の人々の幸せを願って取り組むほうがよさそうです。

 以上はすべて、宗教についてまったく勉強をしていない、「スピリチュアル」とは縁遠い『クラナリ』編集人の考えでした。

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