国府台に国府が置かれたのは、「その当時、水浸しにならなかった」からというシンプルな理由ではないか問題アゲイン
関東平野の海沿いは、1590年に徳川家康が関東入国する前は、人があまり住める場所ではありませんでした。東京湾に多くの川が流れ込み、沼や湿地が広がる低地だったからです。台風が来ると、低地に水が集まるだけでなく、高潮で水没する地域も多数あったと考えられます。
そんな関東平野で、飛鳥時代から平安時代にかけて、国府という行政機関や国分寺が置かれた場所の一つが、千葉県市川市の国府台です。太日川(現在は江戸川)が流れる低地へ突き出した、標高20mの下総台地の先端です。
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| 出典:葛飾区史 |
さらに時代をさかのぼって縄文時代には、下総台地の上に人々が暮らす集落がありました。逆をいえば、下総台地の周辺は海、つまり水浸しで生活できない場所だったからです。
そんなかつての地形が、大雨が降ると、冠水や浸水という形で、よみがえってくるように思えます。
堤防や排水路などが整備されて、現在は関東平野のどこにでも住める状況になっているのですが、大量の水が古い土地の記憶を呼び覚ますわけです。
大雨で土砂災害が発生すると、SNSで「行政の怠慢だ!」的な投稿が発生しがちですが、「かつての地形はどうだったのか」という点も踏まえて、これからどこで、どのように暮らしていくのかを住民が個人レベルで検討してもよさそうです。
日本では、高度成長期に特に首都圏で人口が著しく増えました。その増え方、それに伴う都市化のほうが、日本の長い歴史の中では異常事態だった可能性もあるでしょう。
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| 出典:我が国における総人口の長期的推移、一部改変(紫のライン) |
都市化とともに治水技術も進歩して、江戸川の堤防が整備されてきました。過去10年において堤防決壊や外水氾濫の事例が見当たらないのは、その成果です。
ここ数日の台風、千葉県豪雨では、下総台地の上や周辺にある数十cmの高低差がある場所で、道路冠水が数多く発生していました(内水氾濫)。江戸川と東京湾に接している低地よりも発生件数は多くなっていました。
市川市の外水氾濫については、調べた限りでは、1981(昭和56)年10月の台風24号による真間川の氾濫が最後でした(流域で7500戸が浸水)。
近年、外水氾濫よりも内水氾濫が増えています。ただ新たにインフラを整備するとしても、お金その他の問題があるでしょうし、なにより、今後は人口が減ります。人口50万突破と喜んでいる市川市も、近い将来は、確実に人口が減ります。
現在、国府台では人口が減って空き家率が高いというデータもあるので、「水浸しにならなかった」という歴史を考えて、商業施設などは台地の上に引っ越すということも検討できそうです。移転でできた低地の空きスペースを、調整地(「池」ではなく)に利用できるかもしれません。
別の視点では、「ゲリラ豪雨や台風が発生するシーズンだけの限定的な問題だから、道路冠水は許容する」という考え方もできそうです。


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