「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた ファイナル ルネサンス

 ルネサンスは、キリスト教以前の古代ギリシア・ローマの文化を復活させて、人間本来のあり方を追及する「ヒューマニズム(人文主義)」の流行を指しています(ルネサンスは「再生」「復活」を意味するフランス語)。14~16世紀に西ヨーロッパで広まりました。

 ルネサンス初期に登場したパラケルスス(1493~1541年)は、スイス生まれの錬金術師であり、医師でもありました。
 もともとの名前は、テオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム(別の説ではフィリップス・アウレオールス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム)。名前を変えた理由として、『医学論』を記した古代ローマの医師アウルス・コルネリウス・ケルススと同じレベルだと主張したかったからという説がありました。パラ(「似ている」という意味)+ケルスス=「古代ローマの偉大な医師みたいな」ということでしょう。
パラケルスス(Wikipediaより)

  パラケルススは錬金術を研究し、酸化鉄や水銀、アンチモン、鉛、銅、ヒ素などの金属の化合物を、初めて医薬品に採用しました。
 また、すべてのものは水銀・塩・硫黄の三原質で構成されていて、この3つのバランスが崩れると病気になると考えました。例えば、発熱は硫黄の、湿疹は塩のバランスがおかしいからというように、対応させたわけです。そして、ギリシアの医学者であるガレノス(129~218年)の考えを否定したのです。
 パラケルススはヨーロッパを放浪して、占星術も含めた天文学の理論を、医学理論と融合させたとのこと。
天文学の理論が惑星や恒星を研究して深く究明したことはどんなものであっても、身体の天空にも適用することが可能である

 また、人を病気にするものが人を癒しをもするという信念を持っていました。

あらゆるものの中に毒があり、毒を含まぬものは何もない。ある毒物が毒であるか否かはひとえに「服用量(ドージス)」の如何による。

私は「秘薬アルカヌム」に属さないものを「秘薬アルカヌム」としてはたらくものから分離し、後者に正しい服用量を与える。

そうすれば処方は正しく行なわれる

人間に役立つものは毒ではない。ただ人間に役立たず、害を与えるものだけが毒なのだ。


 イギリスの科学者で、リンゴの実が落ちる様子から万有引力の法則を発見したとされるアイザック・ニュートン(1643~ 1727年)も、錬金術師としての一面がありました。
アイザック・ニュートン(Wikipediaより)


 ニュートンが生きた時代には、悪徳医師が錬金術を使って金をだまし取ったり、金の価値が暴落する可能性があったりしたため、1403年に「金属を増殖しようとしたものは死刑に処す」という法律ができ、錬金術が禁じられます。そのため、ニュートンはこっそりと研究していたようです。
 経済学者のケインズ(1883~1946年)は、「ニュートンは理性の時代 (age of reason) の最初の人ではなく、最後の魔術師だ」と評したとのこと。つまりは、最初の科学者ではなく、最後の錬金術師だと言っているわけです。

 では、ルネサンス以前まで、錬金術も含めた広い意味で科学的分野でリードしていたイスラーム世界はどうだったのでしょうか?

 イスラーム世界では、医学なら医学だけ、化学なら化学だけと切り離して研究が進められることはなかったようです。その理由の一つに、「ウラマー」という知的エリート層の存在があったのかもしれません。
 ウラマーは、法学から医学・天文学まで幅広いジャンルに精通する学者です。

ウラマーは、歴史の大きな流れのなかで近代西欧の新しいテクノロジーに対応することができなかった。彼らは代数学などでは高いレベルを誇っていたが、西欧が生み出した画期的な新兵器である「微積分学」を受け入れることができなかったのである。

翻ってイスラム文明を眺めると、彼らにはそういう「世界は幾何学的に完全な形になっている」といった「調和的宇宙=ハーモニック・コスモス」への信仰をもたなかった。

そのため、かえって微積分学や天体力学の弱点が素直にみえてしまったのかもしれないが、とにかく彼らはキリスト教文明ほどには天体力学や微積分学に惹かれることはなく、結果的にその流れに乗り遅れることになった。その結果は重大で、それまではイスラム世界は西欧の先生だったが、ついには知的世界の地位において西欧に逆転されてしまったのである。


 イスラームの教えが、近代の西ヨーロッパで錬金術から分化した医学や化学などの発展の仕方と相いれないというか、根本的に違うようなのです。
 ルネサンス初期のパラケルススの観点は、どちらかというイスラーム寄りのように思えます。
西欧が解析学(関数)的発想を、イスラムが代数学(連立方程式)的発想を、それぞれと文明の基礎に置いていたとすれば、実は両者は、一つの大きな体系の中に現われる、部分的な二つの顔を見ていたわけであり、彼らは文字通り文明全体の中でそれを等分に分け合ってきたのである。
 つまりこの観点からするならば、本来どちらが文明として上かという議論は成り立たないわけであり、両者の断絶をつなぐ数学的ツールとして、作用マトリックスの役割は大いに期待されるところである。

 だいぶん脱線してしまいました。
 ここで改めて、「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」について、検討しましょう。この疑問には、パラケルススの言葉が答えになるのではないでしょうか。

多くの人が錬金術を、金銀をつくるためのものだという。私にとってそれは目的ではない。医学にどのような美徳と力があるかを考えることだけが目的だ

 金目当てで錬金術に取り組む人も多かったのでしょうが、「自分自身を含め、世界は何でできているのか」「どうしたらバランスが整って、健康に、幸せに生きていけるのだろうか」という好奇心が、人々を錬金術へと駆り立てたのでしょう。 
 しかし、本気で卑金属から金を作ろうと実験をしても、うまくいかなかったことから、ルネサンス後期には錬金術の限界が見えてきていたのかもしれません。そして、金を作る試みから離れて、化学が発展していき、今の私たちの生活があるのでしょう。

■参考資料
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