勝手にパワースポット その13 白幡天神社
白幡天神社
〒272-0824 千葉県市川市菅野1-15-2
2017年2月6日という今日の日に、白幡天神社にお参りして本当によかったと思います。
白、紅、ピンクの梅の花が咲き始めていたからです。
白幡天神社については、源頼朝がここで白旗を掲げたことから、「白幡」と名付けられたそうです。
ちなみに源氏は白旗、平家が赤旗を使っていたようで、ここでの白旗は負けを認めることとは関係ないようです。
白幡天神社は住宅街の中にありますが、境内とその周辺とでは場の感じが違います。
信じられないほど、静かなのです。
神社の周辺を歩き回ったら、理由がわかりました。道がぐるりと白幡天神社を囲んでいたのです。境内とその周辺とがはっきりと分けられていました。
市川駅周辺の神社は、多くの場合、住宅とマンションが迫ってくるかのように取り囲まれています。
神社の撮影をするときは近隣の洗濯物が写らないように注意しなければならず、終わったらそそくさと退散していました。
一方、白幡天神社は人の住む場所とよい具合に隔てられているので、境内にいると集中できます。
集中といっても考え事をするのではなく、梅を見ることや鳥居を眺めることに没頭できるという感じでしょうか。
自分の勘違いによって落ち着かなかった気持ちも、白幡天神社を参拝し、梅の花を眺めているうちにスーッと静まっていきました。
掃き清められた庭を見ながら、白幡天神社についても大切に扱われてきた場所なのだと実感しました。
白幡天神社の祭神は、武内宿禰(たけのうちのすくね)と菅原道真(すがわらみちざね)。
武内宿禰については八幡様(応神天皇)に仕えた古代日本の人物。菅原道真は平安時代の学者で、左遷された太宰府で亡くなっています。
幼い頃の私は菅原道真を悲劇の学者だと思っていました。
ところが、大人になってマンガ『陰陽師』を読んでびっくり。怨霊の親玉扱いされていました。
すっかり祟り神になってしまった菅原道真。権力争いに明け暮れて、無実の罪で菅原道真を太宰府に追いやった朝廷の人々の恐怖心が生み出した、当時の菅原道真像なのでしょう。
他人を陥れたり、利用して裏切ったりして、一時は自分が得したような気持ちになっても、無意識に罪悪感が強く刻まれるのかもしれません、私たち人間という生き物は。
少なくとも「自分は後々祟られる」と思うことは、やらないほうがよさそうです。
他と争うよりも、自分の能力をよく知ったうえで努力を重ねることが運を切り開くことにつながるということでしょうか。
東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ 菅原道真
人の世は昔も今もゴタゴタしていますが、そんなことはおかまいなしに、今年の春も梅の花は美しく咲くのでしょうね。
〒272-0824 千葉県市川市菅野1-15-2
2017年2月6日という今日の日に、白幡天神社にお参りして本当によかったと思います。
白、紅、ピンクの梅の花が咲き始めていたからです。
白幡天神社については、源頼朝がここで白旗を掲げたことから、「白幡」と名付けられたそうです。
ちなみに源氏は白旗、平家が赤旗を使っていたようで、ここでの白旗は負けを認めることとは関係ないようです。
白幡天神社は住宅街の中にありますが、境内とその周辺とでは場の感じが違います。
信じられないほど、静かなのです。
神社の周辺を歩き回ったら、理由がわかりました。道がぐるりと白幡天神社を囲んでいたのです。境内とその周辺とがはっきりと分けられていました。
白幡天神社の裏 |
南側には公園 |
市川駅周辺の神社は、多くの場合、住宅とマンションが迫ってくるかのように取り囲まれています。
神社の撮影をするときは近隣の洗濯物が写らないように注意しなければならず、終わったらそそくさと退散していました。
一方、白幡天神社は人の住む場所とよい具合に隔てられているので、境内にいると集中できます。
集中といっても考え事をするのではなく、梅を見ることや鳥居を眺めることに没頭できるという感じでしょうか。
自分の勘違いによって落ち着かなかった気持ちも、白幡天神社を参拝し、梅の花を眺めているうちにスーッと静まっていきました。
掃き清められた庭を見ながら、白幡天神社についても大切に扱われてきた場所なのだと実感しました。
白幡天神社の祭神は、武内宿禰(たけのうちのすくね)と菅原道真(すがわらみちざね)。
多くの神様が分霊されているようです |
武内宿禰については八幡様(応神天皇)に仕えた古代日本の人物。菅原道真は平安時代の学者で、左遷された太宰府で亡くなっています。
幼い頃の私は菅原道真を悲劇の学者だと思っていました。
ところが、大人になってマンガ『陰陽師』を読んでびっくり。怨霊の親玉扱いされていました。
すっかり祟り神になってしまった菅原道真。権力争いに明け暮れて、無実の罪で菅原道真を太宰府に追いやった朝廷の人々の恐怖心が生み出した、当時の菅原道真像なのでしょう。
他人を陥れたり、利用して裏切ったりして、一時は自分が得したような気持ちになっても、無意識に罪悪感が強く刻まれるのかもしれません、私たち人間という生き物は。
少なくとも「自分は後々祟られる」と思うことは、やらないほうがよさそうです。
他と争うよりも、自分の能力をよく知ったうえで努力を重ねることが運を切り開くことにつながるということでしょうか。
東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ 菅原道真
人の世は昔も今もゴタゴタしていますが、そんなことはおかまいなしに、今年の春も梅の花は美しく咲くのでしょうね。
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