【インタビュー】人と人がつながって みんなで一緒に成長する家 ~「コミュニティスペース プラット」長谷川綾子さん~
京成線菅野駅の近くにある、車1台がやっと通れるほどの路地。さらに奥まったところに、「コミュニティスペース プラット」があります。
このような場所にある一軒家で、どうしてプラットが誕生したのか、おぎんさんこと長谷川綾子さんにお話を伺いました。下町のご近所さんが
支えてくれた
「つらい……」とちょっと愚痴をこぼしたり、助けを求めたりできる人が近所にいる。それだけで、どんなに気持ちが救われるでしょうか。
こうした自身の体験をSNSで発信していたことが一つのきっかけになって、「コミュニティスペース プラット」の世話人になったおぎんさん。
「妊娠6カ月のときに、だんながうつになったんです。
産後1年で私は仕事に復帰したんですけど、だんなは相変わらずうつだし、子どもも夜泣きしたりして手がかかります。
仕事ではプレッシャーがどんどんかけられるし、気づいたときにはバーンアウト。会社は辞めて、3カ月くらい、私もうつで引きこもっていました。
『ツレがうつになりまして』(※)という漫画がありますけど、ウチは『夫婦でうつになりまして』状態」
産後1年で私は仕事に復帰したんですけど、だんなは相変わらずうつだし、子どもも夜泣きしたりして手がかかります。
仕事ではプレッシャーがどんどんかけられるし、気づいたときにはバーンアウト。会社は辞めて、3カ月くらい、私もうつで引きこもっていました。
『ツレがうつになりまして』(※)という漫画がありますけど、ウチは『夫婦でうつになりまして』状態」
カラッと明るい笑顔で話すおぎんさん。今の様子からは想像できないほど、3年前のおぎんさんは追い詰められていました。
「狭い家の中で、うつの夫婦と1歳児が、じっとこもって暮らしていました。
しばらくそんな状況が続いていたら、危機感がわいてきたんです。『ヤバい! こんな生活、もう続けられない!』って」
しばらくそんな状況が続いていたら、危機感がわいてきたんです。『ヤバい! こんな生活、もう続けられない!』って」
おぎんさんに寄り添ってくれたのは、自宅がある谷中(東京都台東区)のご近所さん。道で会えば「どうしているの?」と声をかけてくれる人もいれば、週に数回はご飯に呼んでくれる人もいるのだそうです。
そんな下町ながらの人付き合いが、おぎんさんを支えました。
「困った人でも暮らしていける地域のありがたさ」を実感しているおぎんさんのことを知って、「プラットを任せられるのは、おぎんだ」と思ったのが、市川市にあるNPO法人 ダイバーシティ工房代表の不破牧子さんでした。
※ 『ツレがうつになりまして』は細川貂々が2006年3月に幻冬舎より出版したコミックエッセー。夫のうつ闘病生活を描いている。
ここならば仕事と
子育てが両立できる
なにも不破さんは、おぎんさんの個人的体験だけで、プラットを任せたいと思ったわけではありません。
そもそも2人が知り合ったのは、おぎんさんがバーンアウトを経験した職場で、まだバリバリと働いていた頃。社会の変化を促すプロジェクトや場づくりの技術を、おぎんさんは教える仕事をしていました。そのワークショップに、不破さんが参加していたのです。
ここから交流が始まって、SNSでもつながりました。
「プラットを任せたい」と不破さんが声をかけたときには、おぎんさんは休養期間を抜け出して、子どもから若者までが出入りする公立施設で働いていました。
そんな下町ながらの人付き合いが、おぎんさんを支えました。
「困った人でも暮らしていける地域のありがたさ」を実感しているおぎんさんのことを知って、「プラットを任せられるのは、おぎんだ」と思ったのが、市川市にあるNPO法人 ダイバーシティ工房代表の不破牧子さんでした。
玄関前でメダカが泳いでいます |
※ 『ツレがうつになりまして』は細川貂々が2006年3月に幻冬舎より出版したコミックエッセー。夫のうつ闘病生活を描いている。
ここならば仕事と
子育てが両立できる
なにも不破さんは、おぎんさんの個人的体験だけで、プラットを任せたいと思ったわけではありません。
そもそも2人が知り合ったのは、おぎんさんがバーンアウトを経験した職場で、まだバリバリと働いていた頃。社会の変化を促すプロジェクトや場づくりの技術を、おぎんさんは教える仕事をしていました。そのワークショップに、不破さんが参加していたのです。
ここから交流が始まって、SNSでもつながりました。
「プラットを任せたい」と不破さんが声をかけたときには、おぎんさんは休養期間を抜け出して、子どもから若者までが出入りする公立施設で働いていました。
「とてもやりがいがあって、おもしろい仕事でした。
不破さんから声をかけられたときはうれしかったのですが、すぐに辞めようとは思いませんでした」
不破さんから声をかけられたときはうれしかったのですが、すぐに辞めようとは思いませんでした」
ただ、仕事と子育ての両立で、ジレンマに悩んでいました。
「若者たちとプロジェクトをやろうとすると、どうしても夜や土日の勤務になってしまうので、子育て中の身としては両立するのが難しいと感じていました」
ワーカホリックといえそうなほど、仕事大好き人間だったおぎんさん。しかし、出産と子育てで価値観ががらりと変わったそうです。
「プラットは平日昼間の勤務で、待遇も悪くありません。子育てしながら働くには、いい条件がそろっていたんです」
こうしてプラットに転職したのが2018年4月。プラットが誕生しておよそ1年後のことです。
「プラットは、かつては二世帯住宅。その後はひきこもりの方の支援などをするNPOの事務所になった後、借家になっていました。偶然にも、現在ダイバーシティ工房で働く職員の、かつての職場の事務所でもありました」
2017年3月、不破さんがこの家を訪れて「ここは人が集まる家だな」と直感。翌月には契約して、5月にコミュニティスペースを目指してスタートしたのでした。
この奥にプラットがあります |
2017年3月、不破さんがこの家を訪れて「ここは人が集まる家だな」と直感。翌月には契約して、5月にコミュニティスペースを目指してスタートしたのでした。
「いつでもだれでも気軽に立ち寄れる場所にしたいという思いで、『プラット』という名前が付けられたんです」
ここで、学習支援からスタートしました。
「ダイバーシティ工房では別の場所で学習支援を行っていて、その子どもたちがプラットにも足を運ぶようになったという感じですね」
肝心のコミュニティカフェはというと、「それが実は……」と苦笑い。
「改装をして、保健所から飲食店の営業許可も取ったんですけど、スタッフが足りないせいで、ずっと先延ばしになっていたんです」
ホームページなどでコミュニティカフェをオープンさせる告知はしたものの、延期に延期を重ねました。
やっとのことでコミュニティカフェをオープンしたのは、2018年8月。料理を担当するのはおぎんさんです。
やっとのことでコミュニティカフェをオープンしたのは、2018年8月。料理を担当するのはおぎんさんです。
「実は学生時代、週に1回コミュニティカフェのシェフとして料理を振る舞っていたんです」
こうした経験も、プラットで生かされているようです。
課題は継続のために
収益を上げること
「学習支援、レンタルスペース、イベント開催、駄菓子屋、コミュニティカフェと、ここでやりたかったことを1つずつ実現させて、ようやくスタートラインに立てたという感じです」
今の課題は、プラットに足を運んでくれる人を増やすこと。そして、長く続けられるように収益を上げていくこと。
「こうした課題を克服して、困っている子どもたちや大人が窮地に追い込まれる前に、より生きやすくなることが、私たちの目標なのです」とおぎんさん。
課題は継続のために
収益を上げること
「学習支援、レンタルスペース、イベント開催、駄菓子屋、コミュニティカフェと、ここでやりたかったことを1つずつ実現させて、ようやくスタートラインに立てたという感じです」
駄菓子屋は買った分のお金を缶に入れるシステム |
プラットではさまざまな会が催されています。この日は詩人の向坂くじらさんによるワークショップ「詩のある家、詩のあるお昼」が開催。おやつは向坂さんの手作りです |
写真は「介護家族のためのミニ相談会」の様子(撮影/臼井 頼子さん) |
今の課題は、プラットに足を運んでくれる人を増やすこと。そして、長く続けられるように収益を上げていくこと。
「こうした課題を克服して、困っている子どもたちや大人が窮地に追い込まれる前に、より生きやすくなることが、私たちの目標なのです」とおぎんさん。
「誰かに話を聞いてほしいときに、ここに来ることができる。ここに来れば、勉強も教えてくれる。いろいろな人と知り合って、人間関係も豊かになる。こうして、地域に一つでも安心できる場所があれば、困ったときにも生きる力になると思うんです。
どんな子どもも、いえ、子どもだけでなく大人も、みんなで一緒にワクワクしながら成長していきたいんです」
どんな子どもも、いえ、子どもだけでなく大人も、みんなで一緒にワクワクしながら成長していきたいんです」
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