初詣・神前結婚式・七五三参りは、明治以降に「創りだされた伝統」ということについて その2 神前結婚式・七五三参り

 私の問題意識は、初詣・神前結婚式・七五三参りといった国民的といえる神道儀礼が、明治後期以降、あるいは二〇世紀になって、国民国家形成とともに「創りだされた伝統」であることの検証にある。

  京都大学人文科学研究所の高木博志教授は、上のように述べていました。

 初詣については、 初詣・神前結婚式・七五三参りは、明治以降に「創りだされた伝統」ということについて その1 で取り上げました。ここでは、神前結婚式と七五三参りについて調べていきます。

神前結婚式

 神前結婚式が最初に行われたのは、1900(明治33)年でした。皇太子の嘉仁親王(後の大正天皇)と九条節子(後の貞明皇后)さんとの結婚式です。歴史上初めてとなる神前挙式の場所は日比谷大神宮(現在は東京大神宮)で、結婚式の様子は新聞で大きく取り上げられたとのこと。翌年の1901年には、一般人向けの神前結婚式が日比谷大神宮で創案されて、開催されたそうです。
 ちなみに、筑波大学名誉教授の千本秀樹博士によると、1869(明治2)年に行われた明治天皇の結婚式は仏式で、それ以前は人前式だったとのこと。

 明治になり、キリスト教的な結婚式を日本の神道に取り入れる試みが行われ、神前結婚式が誕生したようです。興味深いのは、以下の記述。

○クリスマスの広がりも大正天皇のおかげ
 大正天皇は47歳で崩御されたが、一生側室をおかず貞明皇后との間に4人の皇子を持たれた。後の昭和天皇、秩父宮殿下、高松宮殿下、三笠宮殿下である。生来の体調不良が悪化し、崩御となったのは大正15(1926)年12月25日で、この日は「大正天皇祭」として昭和22(1947)年まで祝祭日として制定されていた。12月25日が休日であったことから、クリスマスというイベントが日本に広く定着したとも言われている。

七五三参り

 七五三参りは明治に始まり、高度経済成長期に広まっていったと、国立歴史民俗博物館名誉教授の新谷尚紀博士がテレビ番組のインタビューで答えていました。

 国立国会図書館のサイトでは、以下のように説明されています。
七五三のお祝いの源流は、男女3歳児の「髪置(かみおき)」、5歳男児の「袴着(はかまぎ)」、7歳女児の「帯解(おびとき)」など、主に公家社会で行われていた儀式にあるといわれています。それが近世に入って武家や江戸の裕福な商人にも広まり、子どもの成長を祝うために親子で氏神へ参詣するという、今日の「七五三」の原型が成立しました。
ただ、「七五三」という呼称が定着し、行事が日本各地に広く浸透したのは第二次世界大戦以降、それも高度経済成長期に入った1960年代のことでした。もともと地方都市や農村では、3歳、5歳、7歳それぞれの祝いはあっても、その全部を祝う風習はないところが多かったのです。全国から人が集まる江戸(東京)で、祝う年齢や性別の異なる様々な地域の風習が混ざった「七五三」という祝い方が生まれ、それが全国に普及して現在に至ると考えられています。

 「高度成長期か……」と、『クラナリ』編集人は、つい思ってしまいました。住宅地の乱開発に誇大広告当たり前など、この時代はなかなかにハチャメチャだったからです。

■「東市川南平台高級住宅地」はどこなんだ問題

photo/ぱくたそ

 神前結婚式のベースはキリスト教の結婚式で、今の「皇室ブーム」のような流れで大正期に広まっていったといえます。
 もう一つは、冠婚葬祭の商業化。
 『クラナリ』編集人の子ども時代は、近所の人が亡くなると、主婦たちが割烹着と包丁を持ってそのお宅へ行き、精進料理などを作っていました。葬式は故人の家で行われるもので、それを近所の人たちが手伝うのが当たり前だったのです。手伝いから帰ってきた母親が、「あそこの家の味つけは変。砂糖を使い過ぎ」などブツクサ言っていたことを覚えています。昭和50年代のことでした。
 結婚式(祝言)についても、一度だけ、隣の農家の家で行われていたときにお邪魔したことがありました。畳の大広間に、たくさんの人が集まっていて、下の写真のような雰囲気です(もっとざわついて、ゴチャゴチャしていましたが)。

photo/GAHAG

 葬式も結婚式も、大勢の人が集まるし、口さがない人たちまで家に入ってくるため、とにかく大変だったのです。また、核家族化が進み、家も狭くなってきたので、どちらもプロに任せて、会場を借りて行うようになったのではないかと推測できます。

 七五三参りについては、11月15日に行われる理由として説得力のある情報は得られませんでした。一説によると、徳川幕府の五代将軍徳川綱吉が息子の徳松の健康を盛大に祈願したことですが、七五三という形式は明治に成立したようなので、つじつまが合いません。
 11月15日の前は、写真スタジオのテレビCMが大量に流れていますよね。そんなことからも、初詣と同様に、商業の力で作られてきたもののように思えます。
 


 最後に、神前結婚式で紹介した千本博士は、以下のようにも述べていました。
「当時、武家の世界の結婚の儀式で、三々九度の盃を神前で取り交わしたのが始まりです。ただし、江戸時代までの八百万の神様と、明治維新以降の国家神道の神様の概念は違うため、武家世界の神前結婚式と、20世紀の神前結婚式は違います」(千本秀樹・筑波大学名誉教授)

 「江戸時代までの八百万の神様と、明治維新以降の国家神道の神様の概念は違う」について、具体的に知りたいところです。

■参考資料
七五三の起源は?千歳飴の意味は? 神社や専門家が疑問に回答【みんなのハテナ】

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