「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた その5 「アリストテレスとイスラーム」からの「錬金術と化学」

   「ヘレニズム時代に盛り上がりを見せた錬金術は、ローマ帝国時代にヨーロッパで衰退しました。しかし、イスラーム世界で発展を遂げることになるのです」と、「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた その3 硬貨と権力と錬金術 は締めくくりました。
『蒸留術とイスラム錬金術』



 錬金術がイスラーム世界で発展するきっかけは、529年に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のユスティニアヌス1世がキリスト教以外の宗教などを弾圧したことにあります。ギリシアの学問はギリシアの多神教と結びつけられ、文献は廃棄されて学者は追放されました。
 文献や学者が移動した先が、イスラーム世界だったのです。

 ヨーロッパは、キリスト教の教会が支配的な封建社会である「暗黒時代」に突入しました。その時代に、アリストテレスの思想をイスラーム世界では勉強しようとする機運ができて、錬金術が化学へと発展しました。

 イスラーム世界にギリシア科学が導入される契機となったのは、キリスト教を国教とするビザンツ帝国の皇帝ユスティニアヌスの政策にある。皇帝は529 年に、ギリシアの学問が多神教時代に発展したものであるとして、プラトンが創設して以降 900 年間も世界有数の研究機関として運営されてきたアカデメイアを閉鎖し、貴重な文献を廃棄し学者を追放した。そこで、ビザンツを追われた多くの学者たちが、西アジアのハッラーン(トルコ南東部)などの寒村にギリシア語の文献を運び込み、ひそかに研究を継続していた。そこではギリシアの哲学書や科学書、医学書などが研究され、また当時の彼らの言語であったシリア語に多くの写本が翻訳されていた。このシリア語訳のギリシア語文献が、アッバース朝期になると、カリフの命令でバグダードへ移され、「知恵の館」の大翻訳事業へと繋がった。やがてムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒たちとの共同作業によって、ほとんどすべてのギリシア語文献が、直接アラビア語に翻訳されるという一大翻訳事業が展開されたのである。
イスラーム文明とは何か…現代科学と文化の礎 


 ウマイヤ朝を倒したアッバース朝は,ヘレニズム文明の教養を身に着けたペルシャ人に支持されて政権を樹立したため,人種による差別はなく,ペルシャ人が保持していたギリシャ文明,その中でも主に哲学と自然科学を積極的に取り入れた。それだけでなく,アッバース朝の最初のカリフたちはペルシャ人の臣下やブレーンたちの影響を受けて,揃いも揃ってヘレニズム文明の愛好家であった。このとき初めて,イスラムは外来の学問として,哲学,論理学,医学,薬学,天文学,数学,化学,錬金術を受け入れた。

科学・技術史から探るイノベーションの萌芽 [第4章]イスラム科学技術概説



 『クラナリ』編集人は、イスラームについては「おっかない」「排他的」「守旧」というイメージを抱いていました。1990年代頃から「イスラム原理主義」という言葉がニュースをにぎわし、近年では女性が大学に通うことを停止させられたり、ヒジャブ(頭部を覆うスカーフ)をかぶっていない女性が殺されたりしたからです(ただ、これは現代の一部の現象であるという意見も)。

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 そんな「おっかない」イメージは、ごく最近で、また、偏った見方によるものかもしれません。今から1500年ほど前のイスラーム世界は、「異なった民族や宗教の下で発展した文明であっても、人類の利益となるものであれば、何でも受け入れるという寛容で現実的な姿勢」だったことで、ヘレニズム期の錬金術が化学へと発展したのでしょう。

 イスラーム世界で化学?

 これも私たちの頭の中では結びつきにくいですよね。「化学などの自然科学はヨーロッパで発達し始めた」と考えている人は少なくないでしょう。
 ただ、錬金術の歴史を追っていくと、イスラーム世界が重要な役割を果たしたことは明らかなのです。

近代以前の文明のなかで自然科学が発達したことはまれで、わずかにヘレニズム(ギリシア・ローマ)文化とイスラーム文化をあげることが出来る。
イスラーム文明は外来のギリシア科学を受け継いで発展したものである。当時のイスラームの支配者たちが、異なった民族や宗教の下で発展した文明であっても、人類の利益となるものであれば、何でも受け入れるという寛容で現実的な姿勢を持っていたことも、外来の文明を柔軟に受容して、さらに発展させる意欲につながったのである。
イスラーム文明とは何か…現代科学と文化の礎 


 また、アリストテレスの考え方(自然観)をイスラーム正解は取り入れたことで、錬金術は化学へと発展したのだと考えられます。


 イスラムが熱心にアリストテレスを理解しようと努めるようになったのは,第一義的にはユダヤ教徒やキリスト教徒との宗教論争に勝つためであったが,それだけにとどまらなかった。前述したように哲学と科学とを区別せず,真理を探求するイスラムの文化人にとって,アリストテレスの宇宙論(地球は宇宙の中心にあり不動)や目的論的自然観(自然界のものは所期の目的があって作られている)は思考の原点ともいえる。

結論だけをいうと,アリストテレスの「物は誰かによって動かされない限り動かない」という前提から,「物が運動するには運動の連鎖が存在しなければいけない」と考えた。そして運動の連鎖のトップバッターを「第一動者」と呼び,「第一動者」だけは他者から動かされない者,すなわち「不動の動者」であるとした。この「不動の動者」をアラブの哲学者たち,そして後にヨーロッパの哲学者たちが自分たちの信じる宗教の神に置き換えることで,アリストテレスの論理がそのまま流用できることに喜んだ。

さらに,アリストテレスは自然界を観察して,生物は必ず同種の子どもを生むし,石は必ず落下するのに火は必ず上昇するなど,すべての現象には規則性と秩序が備わっていることを見て「不動の動者」は自分の意図を実現するためにこういった規則性と秩序を与えたと考えた。また,多くの動物の観察から,動物の体の各部には必ずある目的を達成するために必要十分な機能が備わっているという目的論的自然観を唱えた。さらに,この考えを推し進め,羊がふさふさとした羊毛を蓄えるのは人間がそれから暖かい着物を作るためという人間中心の目的論的思考に到達した。この点がイスラムやキリスト教の考える神の概念と合致したので,アラブやヨーロッパの信者たちがこぞってアリストテレスを研究した。
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