「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた その3 硬貨と権力と錬金術

『世界コイン図鑑』には,西欧世界での最初の円形コインが,小アジア半島の西端に位置するリディアのエレクトロン貨である。初期のものはおよそ紀元前650年頃に作られている。エレクトロンと言うのは金と銀の自然合金であり,コインの表面にはライオンの頭部を描いているとの記述がある。


エレクトロン貨(写真/Classical Numismatic Group

 紀元前8世紀から前6世紀末までの間には、ギリシア人とフェニキア人との交易システムができてきました。「フェニキア」は地中海東岸を指す地名です。現在のシリア、レバノン、イスラエルの北部に当たります。シドン、ビブロス(ジュベイル)、テュロスといった、独立した複数の都市国家があり、海上交易を行っていました。
Googleマップより(一部改変)


 ギリシア人とフェニキア人が交易で利用していたのは、銀塊です。
 紀元前7世紀末から紀元前6世紀初めまでの間に、トルコ西部にあったリュディア王国で硬貨が発行されました。冒頭のエレクトロン貨です。

 そして紀元前6世紀後半には、近隣の都市やギリシアで硬貨の使用が広まり、エーゲ海の各都市国家で硬貨が鋳造されるようになっていきました。

 ローマでは、共和制ローマの初期に硬貨の鋳造が始まりました。アスという青銅貨とディドラクマという銀貨です。
 3回にも及ぶカルタゴとの戦争(ポエニ戦争)で、ローマは財政危機に直面します(カルタゴは、現在のチュニジア共和国の首都チュニス近郊にあったフェニキア人の都市国家)。そこで、銀貨が改鋳され、銀の含有量を減らして硬貨の数を増やし、兵士たちに支払いを行ったのです。そのため、人々は改鋳前の価値の高い(銀の含有量が多い)銀貨をため込んで、使わなくなりました。流通するのは価値の低い銀貨で、当然、インフレが起こったと考えられます。

 紀元前211年、銀貨のデナリウス、ウィクトリアトゥス、クィナリウス、セステルティウスが発行されました。デナリウスの語源は「10個単位」という意味の言葉で、1デナリウスは青銅貨の10アスに相当しました。
 紀元前87年、当時の権力者であるスッラが戦争に勝ったことを記念して、金貨のアウレウスを発行されました
 ガイウス・ユリウス・カエサルがガリアを征服したことで、金が手に入るようになり、金貨のアウレウスが大量に発行されて、流通しました。
 
 ローマ帝国の時代に入ると、293年(297年という説も)に皇帝のディオクレティアヌスが、エジプトで起きた反乱を鎮圧する際に、錬金術書を集めて廃棄し、錬金術を禁止しました。一説には、贋金の流布が硬貨の価値を下げるからではないかとされています。
 また、313年に皇帝のコンスタンティヌス1世がキリスト教を公認しました。キリスト教神学以外は禁じられ、「邪教」の錬金術はヨーロッパで衰退することになります。

 『クラナリ』編集人が調べた限りでは、錬金術師が硬貨を偽造したというエピソードは見つかりませんでした。硬貨=権力の象徴・信頼度といえるので、「権力に歯向かおう」とまでは錬金術師たちは考えてなかったのかもしれません。
 ですから、ローマ皇帝のディオクレティアヌスが錬金術を禁止したのは、一種の八つ当たりのようにも見えます。インフレ対策が功を成さず、ローマ帝国の維持が難しい中で、ストレスがたまっていたに違いありません。

 ヘレニズム時代に盛り上がりを見せた錬金術は、ローマ帝国時代にヨーロッパで衰退しました。しかし、イスラーム世界で発展を遂げることになるのです。



王政ローマ(ところどころ省略)
紀元前753年 初代ローマ王ロームルスが建国
第2代 ヌマ
第3代 トゥッルス・ホスティリウス
第4代 アンクス・マルキウス 海沿いの都市オスティアを征服して、ローマに塩をもたらす→塩が通貨の役割を果たす
第6代 タルクィニウス・プリスクス
第7代 セルウィウス・トゥッリウス
紀元前509年 第7代の王タルクィニウス・スペルブスが追放

共和制ローマ(ところどころ省略)
紀元前509年 タルクィニウス・スペルブスを追放し共和制の開始
内戦や政治的対立の中で政情不安定
紀元前300年 硬化の鋳造が始まる(青銅貨アス、銀貨ディドラクマ)
紀元前272年 イタリア半島の統一
紀元前264年~紀元前241年 第一次ポエニ戦争(シチリア島を巡る、カルタゴとの戦争)
紀元前219年~紀元前201年 第二次ポエニ戦争(カルタゴのハンニバルによるローマ侵攻、シチリア島のシラクサのアルキメデスはローマ兵によって殺害)
紀元前149年~紀元前146年 第三次ポエニ戦争(カルタゴ滅亡)
紀元前58年~紀元前51年 ガリア戦争(ガイウス・ユリウス・カエサルがガリア〈フランス、ベルギー、スイスなどの地域〉を征服し、共和政ローマの属州とした)
紀元前45年 ガイウス・ユリウス・カエサルが終身独裁官に任命
アウレウス金貨を8.0gと規定
紀元前44年 ガイウス・ユリウス・カエサル暗殺
紀元前31年 アクティウムの海戦(カエサルの養子オクタウィアヌスがマルクス・アントニウスとクレオパトラに勝利)
紀元前30年 オクタウィアヌスがプトレマイオス朝エジプトを征服
紀元前27年 ローマ元老院がオクタウィアヌスに全権と新しい称号「アウグストゥス」を与える→最初のローマ皇帝

ローマ帝国(年代は在位、ところどころ省略)
紀元前27年~14年 アウグストゥス
54~68年 ネロ
アウレウス金貨を7.3gに減らす
大プレニウス(博物学者)
96~98年 ネルウァ
98~117年 トラヤヌス 領土拡大
117~138年 ハドリアヌス 最盛期
138~161年 アントニヌス・ピウス
161~180年 マルクス・アウレリウス・アントニヌス 治世の後半は疫病や異民族の侵入
177~192年 コンモドゥス 暗殺後は混乱
3世紀 ガリア帝国とパルミラ帝国がローマ国家から分離
短命の皇帝が続出
激しいインフレ
270~275年 アウレリアヌス 再統一
284~305年 ディオクレティアヌス 専制君主制を確立、東西分裂(西ローマ帝国と東ローマ帝国=ビザンツ帝国に分かれる)
ソリドゥス金貨を発行 5.5g
307~337年 コンスタンティヌス1世 キリスト教を公認
キリスト教を容認し国教とする→キリスト教徒に税金を払わせる(「信仰と税金」がリンク)→財政安定
ソリドゥス金貨の重さを4.5gに減らす
379~395年 テオドシウス1世
475~476年 ロムルス・アウグストゥルス 西ローマ帝国最後の皇帝、ゲルマン人の傭兵隊長だったオドアケルによって滅亡
1449~1453年 コンスタンティノス11世パレオロゴス 東ローマ帝国(ローマ帝国)最後の皇帝


■参考資料
『脱税の世界史』著/大村 大次郎 宝島社
『錬金術の歴史』著/井上英洋 創元社
Wikipedia
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