東京都の紋章が入っているマンホールの蓋が、どうして市川市に存在するのか問題

 道路を歩いていると、ついマンホールの蓋に目が行く習性がついてしまい、写真コレクションが43点ほどになりました。

https://life-livelihood.blogspot.com/2022/06/blog-post_14.html

 先日、非常にレアなマンホールの蓋を見つけました。東京都の紋章が入っているのです。


 発見した場所は、北越コーポレーション株式会社関東工場(大洲3丁目21−1)付近の道路でした。
 近くには、これまたレアな日本住宅公団のマンホール。

 「昭和初期の下水道事業開始時ではマンホールふたの材質はコンクリート製ふたが使われていたといわれている」そうで、上記2つの蓋は昭和初期のものと推測できます。

 もしかしたら、太平洋戦争で1941年(昭和16年)金属類回収令が出されていたため、戦後も金属不足が続いて、マンホールの蓋に金属を使えなかったのかもしれません。

 昭和20・40年の地図を確かめたところ、ここに団地は見当たりません。市川市内では、市川中山団地とハイタウン塩浜の2つが日本住宅公団の団地という情報もありました。

今昔マップより昭和20年頃の地図(青のマークはマンホールの蓋発見場所)
今昔マップより昭和40年頃の地図(青のマークはマンホールの蓋発見場所)


 東京都紋章に日本住宅公団。ここではない、そしてここにはなかったものがマンホールの蓋に残っているわけです。また一つ、市川の路上で謎が増えてしまいました。


■参考資料
寺の鐘が便器に…「この戦争は負ける」 戦時下、金属回収の実態https://www.asahi.com/articles/ASPD56GGFPD5OIPE00G.html
道路の一部としてのマンホールふたの役割
https://jcmanet.or.jp/bunken/kikanshi/2018/10/075.pdf
公団ウォーカー
http://codan.boy.jp/index.html




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