【ローカルメディアのつくり方】再び訪れる未来と新しいローカルメディア

 IoT(Internet of things)については、あらゆる産業でインターネットを利用することが前提となっているのではないでしょうか。

 IoTを支えているのは、情報技術の向上です。大量の情報を、速く・安く・簡単に送り合えることが可能になったことで、IoTが成立しているのです。スマホ1台で家中の家電を操作できるなんて、25年前には考えられないことでした(というよりも、その頃はスマホという言葉自体ありませんでした)

 情報技術が進むことで、マスメディアも様相ががらりと変化します。

 私が編集者になった25年前、原稿はライターの直筆原稿か、郵送されたフロッピーディスク内のデータでした。当時はコピペなどできないので、原稿を書くことには知識と労力が必要とされました。
フロッピーディスク。見たことありますか??

 ほかにも挙げていけば切りがないのですが、出版するには労力もコストも時間もかかり、さまざな業種の人たちの手も借りなければ成立しませんでした。
 ですから、出版業界では本を出すということに慎重。コストがかかっているから、致命的な誤りなどで回収になると損害が大きいということも関係していました。

 あれから25年後。
 1年間で新たに発行される書籍数は7万冊といいます。ハイスピードで出版できるようになった一因は、文字も写真もイラストも、大きなデータをインターネットでやり取りできるようになったからです。

 テレビ業界については、ジャガーさんがインタビューで答えているように、やはり動画を作る労力もコストも時間もぐっと減っています。ですから、チャンネル数や番組数が増えているうえ、現在ではインターネット動画配信とも競合しています。

■ジャガーさんのインタビュー記事
https://toyokeizai.net/articles/-/218418


 さらに、情報技術が進むことで、個人単位でメディアを持つことも可能になりました。あらゆる産業の企業や個人が、速く・安く・簡単に、SNSなどで情報発信できるということです。

 その結果、現在では以下のような状態に陥っているといえます。
●インターネット上には、玉石混交の情報が大量に流れるようになった
●自分にとって必要、あるいは役立つ情報だけを見つけるのが難しくなった
●目立ちたいという思いで、コンビニのおでんに指を突っ込んだり貯水槽で泳いだり、法を犯す動画などが軽率に発信されるようになった
●不当に物を売りつけることや、詐欺まがいの行為が横行したりするようになった

 今やメディアは、マスから個人単位まで含めて、レッド・オーシャン。企業も個人も、自分や自分が携わるもの(商品、サービスなど)に注目を集めようと激しく競争する領域です。
 特に速く・安く・簡単に情報発信ができるSNSなどでは、ページビューなどを増やすために多くの人が躍起になり、「真っ赤に染まった情報の海」状態になっているのではないでしょうか。
言い換えると、レイトマジョリティ


 私自身、ネットニュースサイトで記事を書いていた時期がありました。こうしたサイトは広告収入で成り立っているので、アクセス数を増やすための分析に余念がありません。私が原稿を書くときにも運営者からさまざまな指示が入っていました。だからといって、「たくさんの人に読んでもらう」「見てもらいたい人に見てもらう」といったコントロールなどはできていなかったようです(スタッフが苦しそうで、不払い問題なども発生したので)

 こうした情報過多の状況で仕事をする中、近い将来に過渡期に入るのではないかと考えるようになりました。書籍もテレビ番組も大量に制作し、インターネットではそれらの情報から企業・個人の情報まで流れ込む中で、次第にメディアは淘汰されて、昔の数に戻っていく可能性があるということです。

 そう考える理由の一つには、私たち人間が、情報の発信と収集に飽きるという点です。「これほど情報が簡単に発信できるなんて!」「これほど情報が簡単に集められるなんて!」という新鮮味が薄れてきて、多くの人が興味を失ってしまうのです。ある意味、諸行無常。

 もう一つが、メディアで儲けられなくなったこと。グーグルのアルゴリズムが変更されるたびに、収益が大幅に減ってしまったネットニュースサイトや個人単位のメディアは少なくありません。その結果、閉鎖してしまったサイトがいくつもあります。また、個人単位のメディアも労力に見合わないので継続しない傾向にあるのです。なお、このような有様で、「SNSで儲ける」という話は詐欺の可能性があるので注意が必要です。

 マスメディアも個人単位のメディアも、「ただ儲けたいから」「ただ目立ちたいから」という動機のものは次第に淘汰されていく過渡期を経てから、「どうしても伝えたいことがあるから」「純粋に読者や視聴者とコミュニケーションを取りたいから」「楽しませたいから」という動機のものだけが残るのではないかと私は考えています。

 ある意味、情報発信に労力もコストも時間もかかっていた、あの懐かしい時代に回帰するということ。

 そんな「再び訪れる未来」を見据えたローカルメディアについて考え始めたのは、『クラナリ』の制作作業の中で、すでに今、情報の発信と収集に満足をしていない人たちと会ってきたからでした。「よそに目を向けず、地元品のよさを市川の人にもっと知ってほしい」「個人のブログやSNSなどではなかなか効果が出ない」「もっとよい情報発信のやり方を見つけたい」……そんなニーズも感じました。

 だったら何をしたらよいのかを検討するのに、同じ思いを抱く、複数の目が必要です。1人だけでは独りよがり、2人だと友達レベル、3人集まれば文殊の知恵です(つまり、『クラナリ』は独りよがりレベルということ)

 過渡期をいつ迎えるのかも、そもそも過渡期が来るのかさえ、予測はできません。ただ、これからも市川で暮らしていくのならば、義務や道徳とは別の角度から「暮らしたい町づくり」に参加をしたいと考えています。
 その一つの仕組みであるローカルメディアを、今からゆっくりと準備することにしたわけです。



 10月19日の「ローカルメディアワークショップ」で、「メディアの変遷」について話す予定でしたが、長くなりそうなのでここで紹介しておきます。
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