「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた その6 先進的だった9~10世紀のイスラーム世界

  イスラーム世界といえばアラブ。アラブといえば『アラビアンナイト』。

 そんなイメージは、「日本といえばニンジャ、ゲイシャ」というレベルで偏っていました。
 イスラーム世界は宗教の力があまりに強いと同時に、呪術的で、ややもすれば「西欧から遅れている」と、なんとなく私たちは刷り込まれていませんか。
 少なくとも、『クラナリ』編集人はそうでした。ターバンを巻いている人物は砂漠を旅する者であって、化学的な実験などとは結びつかない……

 しかし実際は、現代の自然科学のベースはイスラーム世界で確立されていました。古代ギリシア(特にアリストテレスの学問)とヘレニズム時代に発展した錬金術やインドの算術などが、イスラーム世界に取り込まれて発展し、現代の科学や医学の礎ができたのです。

 その象徴の一つが、蒸留装置のアランビック。
ジャービル・イブン・ハイヤーンが描いたアランビック(Wikipediaより)
アロマセラピーやウイスキー作りなどで利用されているアランビック(蒸留器)


 ジャービル・イブン・ハイヤーン(721~815年)という錬金術師がアラビックを考案したとされています。
 ほかにも、彼は以下の発明・発見を行っています。
○塩酸、硝酸、硫酸の精製と結晶化法
○金などの貴金属を融解できる王水
○有機化合物であるクエン酸、酢酸、酒石酸
○アルカリの概念

 ヨーロッパでは「ゲーベル」と呼ばれ、「アラビア化学の父」とされています。
 彼が残したといわれているのが「ジャービル文書」。日本でもジャービル文書の研究がされていました。

9世紀から10世紀にかけてアラビア語圏で成立したジャービル文書は錬金術書群と目されるが、そこには錬金術に留まらない学知が記録されている。本研究では、人がどのように事物を認識するかを問う「知性論」、存在物の在り方を物的要因と理念的要因の二原理で説明しようと試みる「質料形相論」、性質の強弱を量として把握しようとする「質の量化論」、そして、あらゆるものを数に還元しようとする「バランス理論」の4つを軸に、写本校訂も行いながらジャービル文書を分析する。これにより、ジャービル文書はアラビア語圏における古代ギリシア思想の受容状況を物語り、かつ科学史と哲学史研究の両方に資する文献であることが示される。
 ジャービルの理論はギリシャ的な「第一質料+熱冷乾湿=四大元素」という公式を基本とし、そこに硫黄と水銀が結合して諸金属となる、すなわち「硫黄+水銀=諸金属」という公式を加えた。

 重要なことは、銀や銅だろうが、鉄や鉛だろうが、金以外はどこかしらのバランスがかけた状態にあるだけで、いかなる金属であってもそれらを構成しているものは同じなのだ。それならば、ある金属を原初の状態に戻し、それからあらためて正しい完全なバランスのもとで結合しなおせば、それは金になるはずであるーー。これがジャービル文書の多くを通じて語られる根本原理であり、ひいてはそれが輸入されて発展したその後の西洋錬金術における基本的な考え方となった。

 ジャービル文書で説かれている工程において、正しいバランスによる結合へと最終的に導くものが「エリクシール(エリキサー)」である。

金属の本性と結合のバランスを正常化するだけでなく、人間の肉体と精神それぞれのバランスをも正常化する効果を持つ。その理由は、極論すれば、金属も人体も、等しく第一質料から分化したさまざまな材料からでき上がっているものと考えたからこそなのだ。
『錬金術の歴史』著/井上英洋 創元社

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 さておき、この時代には、化学も医学も哲学も錬金術もその他諸々も、ジャンルを分ける必要はなかったようです。そもそも、私たちのあり方は、統合的なものですからね。ごちゃ混ぜのほうが自然です。

金属を完全なバランスで結合し直せば金になる。
心身を完全なバランスにすれば人間は健康になる。
 同じ理屈で、研究が進められていました。

 ジャービル・イブン・ハイヤーンが活躍したアッバース朝の時代(750~1258年)、762年に建造された首都バグダード(バグダッド)は世界最大級のグローバル都市だったそうです。この時代は、ジャービル・イブン・ハイヤーンのほかにも、以下のような学者が誕生していました。

○アル・ラーズィー(865~925年) 食事と衛生の重要性を強調、エタノールの発見、瞳孔反射を発見、コーヒーについて最初に記述
○アブー・アル=カースィム・アッ=ザフラウィー(936~?年) 『解剖の書』に200以上の手術用具の図解を掲載
○イブン・スィーナー(980~1037年) 『医学典範』をまとめる、脳腫瘍を初めて発見

 また、「アルゴリズム」の語源は、アル・フワーリズミー(アブー=アブドゥッラー・ムハンマド・イブン=ムーサー・アル=フワーリズミー)という、アッバース朝時代の数学者の名前とのこと。

 ヨーロッパとインドの学問の融合の場であるイスラーム世界で、自然科学が生まれる土壌が作られたのです。 


■参考資料
都市の歴史と都市構造 第5回中世イスラムの都「バグダード」

イスラーム世界における文理融合論――「宗教と科学」の関係をめぐる考察――

『医学の歴史 大図鑑 監修/スティーヴ・パーカー 河出書房新社
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