そもそも、人間関係は「水物」  『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』

 『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』(すばる舎)の著者は、精神科の中村恒子医師。1929年に広島県尾道市因島で生まれ、太平洋戦争末期に1人で大阪へ出てきました。
 その背景には、今でも地方には色濃く残る男性優遇がありました。中村医師の両親が弟2人を溺愛し、中村医師は愛情をかけられた記憶がなかったそうです。要は、一種の口減らしのために、中村医師は外に出されたわけです。
 中村医師が家庭を持ち、子育てしている間には、両親がパラサイトする形で同居が始まり、家庭の実権も握られた時期があったとのこと。
 「今から考えると、そのとき両親は恐らく大阪に来たかったんでしょうなあ(笑)。溺愛している弟たちが徳島と東京の大学へ入っていたし、父親が仕事を定年退職していたので時間を持て余していたんやと思います」

 夫については、酒を飲み歩き、酔ってから家族に1時間も説教をするなど、とにかく、まあ、面倒な人物でした。

 そんな家庭での経験と、精神科医としての経験とが、言葉の一つ一つに表れていて、中村医師の書籍は累計30万部のベストセラーになっています。
『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』



 『クラナリ』編集人は、終末期医療の書籍編集の仕事が終わったところなので、『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』の中で人間関係について語られた言葉が印象に残りました。
 家族の中で誰かが終末期を迎えると、急に人間関係に波風が立ちます。疎遠になっていた兄弟姉妹、親類縁者がわらわらとやって来て、「ああするべきだ」「こうしてあげたい」など、やたら口出しします。
 また、「小さい頃にひどい目に遭わされた」「えこひいきされた」「毒親だった」「実は恨んでいた」など、やたら過去が蒸し返されることも。

 そんな人間関係について、中村医師は「水物」といいます。

 そもそも、人間関係は「水物」。
 ほんのちょっとしたことでひっついたり離れたりするもんです。人間は己の利のあるほうへすぐ流れるし、時間や距離が離れて会わなくなると、縁もどんどん薄くなる。それが人間関係というものです。

 血を分けた親子でも、兄弟でも同じ。
 「己の利のあるほうへすぐ流れる」のが、人間という生き物の習性
 親類縁者だけでなく、職場や近所でも「人間は己の利のあるほうへすぐ流れる」ものだと、ある種のあきらめを持って付き合うと、心に折り合いがつけやすいのかもしれません。

 家族のみならず、職場や近所などの人間関係で、傷つけられることも珍しくありません。これは「避けようがありません」と中村医師は語ります。
 ですから、クヨクヨ悩んだり、ずっと傷ついたりしているよりも、「己の利のあるほうへすぐ流れる」人間の「身勝手」な言動ととらえて、その人たちとは「なんか事情があるんだね」「大変だね」と距離を置くとよさそうです。

 ちょっとしたやりとりの中で、何かされたり、言われたり。これは、自分では避けようがありません。

 「なんか意地悪したくなる事情があったんやろうなあ」
 「イライラして八つ当たりしてはっただけなんやろ」
 「なんか気の毒な人やなあ」くらいで解釈しておきましょう。
 実際、人が人を注意したり、怒ったりするときなんていうのは、だいたい身勝手なもんなんです。

 「親子だから」「兄弟姉妹だから」「同僚だから」「近所だから」といった理由で、「仲良くしなければならない」「打ち解けなければならない」という義務感を負う必要もないと中村医師は語ります。

 「こうあらねばならない」っちゅうのは、荷物みたいなもんです。

 本当はそうしたくないのに、無理をして背負っているわけやから、どんどんと身動きが取れなくなっていきますわ。
 そうすると、「私はこんなに辛抱しとるんやから、あんたもこうあるべきや」と人に強要をしたりする

 はっとしました。「我慢している」「辛抱している」という被害者意識が強くなると、周りの人にも自分と同じ思いをさせようとしたがるものなのですね。

 でもね、単純な話で、「こうあるべき」と強く思ってがんばりすぎているときは、「欲求不満」なことが多いんですわ。
 この「欲求不満」が、なかなか厄介。自分自身でも、「どうすれば欲求が満たされるのか」がよくわからないからです。不満は募るけれど、自分で対処するすべが見つからず、他人のせいにしてしまうのでしょう。親しい人を罵って縁を切ったり、転職や引っ越しで環境を変えたりしがちなのですが、「結局、どこに行っても一緒」と中村医師は語ります。

 結局、どこに行っても一緒なんやなあ。100%満足できる環境はないんです。
 だから大事なのは、「今いる場所で、どうしたら己が快適に過ごせるのか」を中心に考えることやと思います。
 他人さんを変えて快適にするのではなく、「自分がどう動けば快適になるやろうか」「ここで気持ちよく過ごせるようになるやろうか」なんです。

 「ここで気持ちよく過ごせる」ためのアドバイスがありました。

 合わない人やイヤな人には意識をできるだけ向けないで、楽しい人、ウマの合う人に意識と時間をできるだけ向けていると、どんな場所でもそれなりに長く居続けられるようになるものです。
 嫌いな人は「あたりさわりなくやり過ごす」のが、中村医師流の対処法です。

 中村医師とは別の人が語ったことなのですが、必要最小限の敬意を持って礼儀正しく接することが、「あたりさわりなくやり過ごす」方法とのこと。昔の貴族が、子どもの頃から礼儀作法をたたき込まれていたのは、そのためという説もあります。

 また、欲求不満の解消には、「自分は結局一人なんやと開き直っていく」ことがポイントになりそうです。

 自分は結局一人なんやと開き直っていくと、他人さんに対して必要以上に執着しなくなってきます。

 誰かに対して無性に怒りが湧いたり、心がどうにも寂しさや悲しさを感じるというときは、そんなことを考えてみるとええかもしれませんね。
 欲求不満は、怒り・寂しさ・悲しさとに言い換えられそうです。その原因には、他人への執着があるのでしょう。
 「他人が私をわかってくれない」「他人が私をきちんと扱ってくれない」という欲求不満が、怒り・寂しさ・悲しさという感情として表面化すると考えられます。
 でもね、人っていうのは、「~してくれ」ってしつこく言われてするのはイヤなもんなんです。

 自分のことを尊重してもらいたかったら、相手のことを尊重すること。単純やけど、とっても大切なことやと思います。 

 本当にそのとおりです。
 逆に、親子だから、兄弟姉妹だから、同僚だからなどの理由だけで、 「~してくれ」をこちらが受け止める必要もありません。

 気持ちを入れすぎると大変やから、「みんな大変やなあ」くらいのいい距離感がいちばんやと思います。

 「あなたも大変」「私も大変」、そして「あなたも結局一人」「私も結局一人」と線引きすると、いい距離感が取れそうです。
 場合によっては、離れるしかない人間関係や仕事もあるでしょうが、その際には「飛ぶ鳥後を濁さず」を心がけたいところです。

 「飛ぶ鳥後を濁さず」って言いますやろ。人間はどこでどんな縁でつながっているかわかりませんから、できるかぎり迷惑がかからんように整えて、やめるのが良いと思います。


 欲求不満については、「努力で人生をコントロールできるという思い込み」「暇」も関係しているようです。

 つまり、どのタイミングでこうする、こんなことがしたいと計画しても、決してそのとおりにいかんのが人生やと思います。

 本書が刊行された当時、中村医師は88歳。その重みを感じさせるのが「決してそのとおりにいかんのが人生」という一言です。
 私たちが受けた教育のせいか、日本での平和な日々のせいか、「勉強して賢く立ち回れば、うまくいく」「自分の努力次第」とつい考えがちです。SNSなどを使えば自分の思いどおりに他人を動かせる、世界も変えられると考えている人もいるような、いないような……
なんというか、力が入りすぎてるんですわ。

 がんばり次第という思い込みと、「決してそのとおりにいかんのが人生」という現実とのギャップで、欲求不満に陥るのでしょう。

 あんまり大きな期待や思い入れを持ちすぎていると、失望したりイラつく原因になります。
 もうこれは、私たちがちょっとあがいたところでどうしようもないことが多い。政治や経済がなんやかんやの前に、目の前の生活があって、自分を、家族を守っていかないとなりません。

 前述の「こうあるべき」とも関係するのですが、仕事に対しては特に思い込みが強くなりがちなようです。 

 「仕事は好きでなければいかん」「楽しくやらないかん」そんなふうにまじめに考える人もいるかもしれへんけど、そんな必要はまったくないんやと思います。

 たとえば掃除や洗濯なんかも、大好きでやっている人は少ないでしょ。「生活のためにやっている」のと違いますか?
 仕事も同じですわ。

 「こうあるべきだ」「~してくれ」とつい思ってしまうのは、暇を持て余している証拠かもしれません。

 私の経験から言わしてもらうと、ウジウジとあれこれ考えないようにするには、暇をつくらないことに限ります。
 暇だと、目の前の状況が延々と続くように錯覚しがちですよね。だからグチグチと欲求不満を垂れ流したり、ウジウジと考えたりしてしまうのです。
 中村医師は、「ゴールや期限を決めてみたらどうや」とアドバイスします。

 私が言いたいのは、夫婦関係だけでなく、辛抱が必要なときは、ゴールや期限を決めてみたらどうやということです。

 人生は自分の計画どおり進むものではないし、他人は自分の思いどおりに動くものでもありません。ですから、「辛抱はつきもの」。それを前提に、「同じ辛抱でも、いかにラクにできるか」と考え、「子どもが結婚するまでは離婚しない」と期限を決めるなど、自分に合う方法を見つけ出すと、「うまいことやる」ことができるのかもしれません。

 人生に辛抱はつきもの。できるだけ避けたいけど、己だけの問題ではないので、どうなるかわかりません。そう考えたら、「辛抱しない方法」ではなくて、「同じ辛抱でも、いかにラクにできるか」を考えるのがおすすめです。
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