甲田光雄医師について、書き残したいこと

「医学の常識」と戦った
甲田光雄医師

 大阪府八尾市にあった甲田医院の甲田光雄医師は1924年8月2日に生まれ、2008年8月12日に亡くなりました。生前、甲田医師は何万人もの人々に断食や少食、生の穀物や野菜を食べる「生菜食」、背骨のゆがみを直す運動などを指導しました。そして、現代の医療で見放されていた難病がみごとに治ってくるという症例が続々と出てきました。


 甲田医師は少食を多くの人に実践してもらうために、書籍を数多く出していますし、雑誌にも登場しています。
 私は雑誌編集者だったので書籍編集者よりも甲田医師との仕事密度は薄く、単発のものが5~6回程度。甲田医師はダダダッと少食の歴史や理屈を話し、私たちは必死にメモを取っているということがほとんどでした。
 また、甲田医師に「あんたはもう、そんなに食べんでいいやろ」と少食を促されたにもかかわらず、白砂糖を使ったお菓子を食べるし、肉も食べるし、お酒を飲みます。生菜食と少食、運動はすぐに挫折しました。

 甲田医師の療法を実行できなかった私が語れることなど、本来はありません。おこがましいと思っています。
 それでも、甲田光雄という医師によって多くの人が助けられたということを書き残しておきたいのです。甲田医師に会って、話を聞いただけで、生きる希望や前向きな気持ちを持てるようになった患者さんがたくさんいたからです。


 甲田医師は1958年に甲田医院を開業したそうですが、高度成長期から1980年代まで「動物性たんぱく質を摂取しよう」「1日30品目食べよう」というスローガンが掲げられていました。メタボが問題視され、断食が「ファスティング」などと呼ばれて一定の認知度がある現在とはまったく違います。

 そんな時代に、断食や少食で病気が治ると訴えた甲田医師は異端者だったに違いありません。甲田医師が当時に書いた本をいくつか読んだのですが、大変に理屈っぽく、「敵と戦ってる……」という感想を私は持っていました。さまざまな批判に対し、甲田医師は根拠となるデータを集めて反論しまくっているという印象です。
 周囲の医師からは白い目で見られたでしょうが、事実として、甲田医師の指導で難病の患者さんが多数治っていったのです。目の前にはたくさんの実例があるのに、医学の教科書ばかり重視して事実を認めようとしない人々が甲田医師には歯がゆかったはずです。

 甲田医師は60年にわたって断食や少食を実行し、自身の食欲や周囲の冷笑と戦いながら、「少食で病気が治る」という信念で患者さんを治療してきました。おそらく、生命が危険な状態にあると医師として判断した患者さんにも、本人に生きたいという意欲があれば甲田医師は励まし、少食を指導したでしょう。
 甲田医師自身が若い頃に医師に見放された経験があるため、患者さんが絶望するような言葉は決して言わなかったと思うのです。多くの患者さんに慕われていたのは、そのためでしょう。


 1990年代に私が訪ねた甲田医院は昭和の趣がある建築で、庭には虫にいっぱい食われているけど青々しいコマツナがたくさん栽培されていました。このコマツナを青汁にして、入院患者さんたちは飲んでいたのでしょう。



 雑誌編集者というものは下世話な存在です。甲田医師本人だけでなく、患者さんたちからも甲田医師の治療についていろいろと話を聞いていました。そして「甲田先生の治療は、本当にお金がかからないのよ」と聞いたときには、少食にすると食費はかからないし、料理のガス代も節約できると話していた甲田医師らしいなあと感じました。
 私が会ったときはいつも、甲田医師はシャツとネクタイ姿で、古びているけれど洗濯されて糊のパリッと利いた白衣を身に着けていました。


 甲田医師は体調を崩してからも私たちの取材に応じてくれました。甲田医師はさらにやせていて、座っているのもつらい感じだったのですが、やはり糊の利いた白衣を着ていました。そして「この人は青汁だけで生きている仙人や」と取材の場で森美智代さんを紹介してくれました。

 甲田先生が診療を休んでいた頃、「とても残念だ」と語る患者さんに会ったことがあります。「私は診てくれないのに、マスコミの取材には応じるのか……」と思う人もいたでしょう。
 しかし、残り少ない自分の命、この世にいられる時間を使ってより多くの人に少食を広めるために、いい意味で、マスコミを利用したのだと思います。甲田医師は自分のカリスマ性について認識していて、自分がこの世を去ることで少食が忘れられることに危機感を抱いていたのかもしれません。そして少食の伝道師として、森美智代さんを選んだことを私たちに知らせたかったのでしょう。

 そのような医師が存在したということ、そして難病を改善させるためにはお金も手間もかからない少食という選択肢があるということを書き残しておきます。

大飯食らいだった
「断食博士」

 甲田医師は、何万人もの人々に断食や少食を指導してきました。そして、難病がみごとに治ってくるという症例が、続々と出てきました。

 健康になりたいと思って、断食や少食を実践すれば、なんとか生き抜こうとするエネルギーが、体の中からわき上がってきます。そして、体が軽くなり、どんどん元気になってきます。甲田医師によると、これが自然の法則なのだそうです。

 甲田医師自身が、最初に断食を行ったのは1950年のことです。私が甲田医師に会った1990年代は、以下のような少食生活を送っていました。
○朝3時 起床
○昼12時 青汁を飲み、生の玄米をすりつぶした生玄米粉と豆腐を食べる
○夜6時 青汁とニンジンジュースを飲み、生玄米粉、豆腐、ゴマ、海藻類を食べる
※午前中は、水と柿の葉茶をたくさん飲み、食べ物はいっさい取らない

 甲田医師は、食べない楽しみを味わいながら、毎日、気持ちよく生活していると話していました。
 ただ、甲田医師自身、生来の大飯食らいで、甘い物好きだったそうです。「まんじゅうでも大福でも、1つなら食べないほうがましで、3つも4つも食べないと満足できなかった」とのこと。


 甲田医師が少食を続けるようになったきっかけは、慢性肝炎を断食で治したことでした。
 中学のときに、食べすぎのために慢性の胃腸病にかかって、2年間学校を休みました。その後、復学したのですが、肝炎を患い、慢性化してしまいました。
 健康になりたい一心で医師を志し、大阪大学医学部に進みました。ところが慢性肝炎は治らず、大学3年のとき、十二指腸潰瘍、大腸炎、胆嚢胆道炎まで患って、大阪大学附属病院に入院することになりました。当時の最先端治療を受けても、病状はいっこうによくなりません。そして、主治医にこう言われたのです。
「甲田君。いつまでもこんなとこで治療を受けるよりは、家に帰ってのんびり養生したらどうや」。


 甲田医師は、現代医学でだめなら民間療法で治らないかと、いろいろな本を読みあさりました。そして知ったのが、断食療法です。試してみたいと思って主治医に相談したら、「断食したら死んでしまう」と、ものすごくしかられました。

 覚悟を決めて、生駒(奈良県)の山に登り、11日間の断食をやりました。この断食で甲田医師の体は回復していったのです。繰り返し行えば、病気は治るかもしれないと、甲田医師は希望を持ちました。そして、断食には、現代医学でまだ解明されていない深い真理が秘められていると体で感じ取ったのです。
 それからは、大学で現代医学を学びながら、何度も断食を行い、少食にも取り組むようになりました。どうして食を断つことでこんなに元気になるのか、医学的に解明しようと、甲田医師は考えていました。

 ただ、最初から少食を実行できたわけではありません。食事を減らすと、体が回復していくのがよくわかりました。ところが、しばらく続けると、甘い物が食べたくて、たまらなくなるのです。食べるとてきめん、体がだるくなります。
「これはいかんと、もう今日から甘い物は食べないことにすると決心するのですが、1カ月もたたないうちに、あんころもちを3つも4つも食べてしまう。そんな失敗ばかりです」

 医者をやめて死んでしまおうと思い詰めたこともあったそうです。そんなときでも、「待てよ。どうせ死ぬのやったら、その前に腹いっぱいぜんざいを食べておこう」と思う始末です。

 甲田医師自身がさんざん苦労して、「少食にしなければならない」と自分を縛るのではなく、「少食になりたい」という思いを強くすることが大切だと気づきました。やがて、食べ物への執着が消え、1枚の葉っぱ、1粒の米も、感謝して食べなくてはならないと、実感としてわかるようになったそうです。
「私は健康になって、幸せに人生を全うしたいんだ」という気持ちを強く持つことが大事とのことでした。
 少食を実践するのならば、自分の食べる物を一度、仏様の前に備えて、両手を合わせること。「ありがたい」という気持ちがわいてくれば、がつがつと食べたいという気持ちが消えていき、自然と少食で満足できるのだそうです。


心と体を蝕む
「宿便」

 私たちは、「今まで健康だったのが一変して病気になった」と思いがちです。ただ、甲田医師によると、病気は突然かかるものではありません。「宿便」をためる生活を続けて、その結果として病気になるのです。
 宿便がたまってくると、心と体の症状が現れます。

□いつも疲れた感じがして、手足が冷たい
□頭がスッキリせず、体のあちこちにしょっちゅう湿疹ができる
□取り越し苦労が多く、余裕がない


 宿便とは、腸管内に滞った物の総称です。
 胃腸の消化能力を超えて食べ物を取ると、食べ物の一部がうまく消化されず、腸管内に残ってしまいます。これが宿便です。
 人間の体は、口から肛門まで、消化管という管が1本通っています。いつも大量の食べ物を摂取していると、消化管の途中で詰まりが生じてしまいます。車の量がふえすぎると、道路が渋滞することと同じです。

 腸管が長く伸びたり、横に膨らんだりして、宿便を収容します。そして腸内細菌の出す酵素(化学変化を促す物質)が、宿便を分解するのですが、食べすぎが続くと分解が追いつきません。やがて腸管が垂れ下がって、腸管どうしや、腸管とほかの組織などが癒着し、腸管の動きが鈍くなるのです。これを甲田医師は「腸マヒ」と呼んでいます。

 腸マヒがあると、腸管を内容物が通過できなくなり、宿便がさらにたまってきます。また、宿便が分解される中で発生した有害な毒素が、体内へ吸収されてしまいます。そして、毒素が血液の中へ入り、体じゅうの臓器へと運ばれます。結果、全身の倦怠感やアレルギー症状、肩こり、頭痛、肌荒れ、ひどい口臭など、いろいろな不快症状が出てきます。「宿便は万病のもと」といっても過言ではありません。

 道路の渋滞を解消するために、車両の通行を制限します。これと同様に、宿便の解消には、食べ物が消化管に入ってくるのを止める、あるいはへらすのが効果的です。断食で宿便が出るのは、モチリンという消化管ホルモンが、空腹時にたくさん分泌されるためです。モチリンは「腸管の掃除屋」で、腸管の運動を活発にして腸の内容物を下部に移送し、早く体外に排せつさせます。

 宿便が出ると、症状は劇的に好転してきます。甲田医師は、難病の患者さんがどんどん治っていく姿を見ながら、現代医学ではまだわからない真理がある、断食療法は間違っていないと確信しました。

 犬や猫などの動物は、体の調子が悪くなると、日ごろの好物でも食べなくなります。これは食べ物を断って自然治癒力を高め、体調を回復させる大自然の計らいに従っているわけです。

 人間も、体調をくずして高熱が出ると、通常は食欲が落ちてくるものです。ところが、食べないと栄養不良になり、弱ってしまうと考えます。食欲がないのに無理して食べるから、ますます体がだるくなって、治る病気も治らないのです。

 食欲のないときは、大自然の計らいにすなおに従って食べない。
 また、食欲があっても、積極的に食を減らす。
 すると、自然治癒力が高まり、体が疲れなくなって活力がわき、頭がさえて、なんともいえないくらい気持ちのいい生活を送ることができるのだそうです、「少食に病なし」と甲田医師は話しました。


自由と安らぎを
得るための少食

 今の日本は景気がそれほどよくないと言っても、食事に困ることはそれほどないでしょう。スーパーにはさまざまな食材が並び、コンビニには24時間手軽に食べられる物がそろっています。
 それなのに、どうして食事を減らさなければならないのか。少食とはなんて不自由な生活だろうと思ってしまいます。

 甲田医師は逆に「自由ってなんやと聞き返したい」と言っていました。

 食べ過ぎた結果、病気になることこそ不自由です。自分がやりたいことをできないだけでなく、家族や周囲の人たちにも、大きな迷惑をかけることになります。
 食事で得られる満足は、一時的なものです。もっとおいしいものを、もっとたくさん食べたくなり、際限がありません。けっきょく私たちは、いくら食べても満たされないから、つらくなってしまうのです。

 人間には、単に栄養とエネルギーを得るためだけでなく、おいしい物をたくさん食べたいという欲望があります。この欲望から解放されることで、自由と安らぎが得られるのでしょう。
 しかし、食欲が私たちを振り回す力を、甲田医師自身、身をもって痛切に知らされてきたと言います。
 「少食を成功させるために、食べたらあかんと自分を縛るのではなく、食事をいただくことに感謝の気持ちがなくてはなりません」

 少食は、体の本来の機能を働かせる正しい量の食事です。とはいえ、病気になりたくないから、健康にいいから、やせたいからという理由だけで少食に取り組んでも、長続きしにくいものです。
 少食にすれば、未来はどう変わるのか、想像してみましょう。少食で食費が削減でき、家計は助かるし、調理や献立作りにかかる時間と労力をへらせます。そしてガスや電気などのエネルギーをあまり使わないので、地球の環境を守ることにもつながります。

 日本の高齢化は進んでいますが、少食でいれば年を取ってからも、寝たきりや認知症になることはありません。日本じゅうに広まれば、医療費はぐっとへるはずです。

 日本では飽食と肥満が問題となっていますが、世界人口の約8分の1に当たる8億の人々が、飢えに苦しみながら暮らし、多くの子どもたちが命を落としています。少食が世界じゅうに広まれば、食糧不足の心配はありません。

 少食で、人間の命も、動物の命も、植物の命も、地球の資源もたいせつにすると、すべての生き物と共生・共存ができて、ほんとうの意味で幸せで平和な時代になる。甲田医師はそう話していました。

誰にでも断食や少食を
勧めていたわけではない

 取材で初めて甲田光雄医師に会ったときのこと。甲田医師は私の顔を見てすぐに「あんたは、これまでずいぶん食べてきたなあ。もう、そんなに食べんでもよろしいやろ」と言いました。
 当時の私は、見た目にはやせていたのですが、ものすごくお酒を飲んでいたし、甘い物も肉類も大好きでした。太りたくないから、スポーツクラブに通って激しく運動し、摂取した糖質・脂質の吸収をカットするサプリメントを摂取していました。
 そんなことはまったく話していないのに、甲田医師にはなぜかわかってしまったようです。大量に食べて、太るのを恐れて、大量にエネルギーを消費して……あんたはなにをやっているんですかと甲田医師は思ったのでしょう。

 甲田医師は誰彼かまわず「断食してみなさい」「少食にすればなんでも治る」と言っていたわけではありません。
 ライターを同行して何度か甲田医師を取材したのですが、40代の男性のライターには「あんたは、今は断食せんほうがいいなあ」と話していたのです。
 男性ライターは中肉中背。テニスが趣味で、東京から大阪に出張できるぐらいですから、特に健康に問題はなかったはずです。
 心身がスッキリする、五感がさえるなどの断食の効果に、彼は強く興味を示していたのですが、そんな彼よりも私のほうに甲田医師は断食を強く勧めました。


 甲田医師は、訪れてきた人を観察して、今まずやるべきことを伝えていました。そして、顔を見るだけでなく、手のひらやおなか、背中を見て、触って、診断していました。血圧や血糖値といった数値に頼るのではなく、人全体をじっくりと見ていたのだと思います。
 甲田医師は私の顔だけでなく手を見たときも、「やっぱり食べすぎや。宿便もたまっておる」と笑っていました。



少食で
運命も変えられる

 甲田医師は、若い頃にいろいろな人から手相を診断してもらったそうです。当時、甲田医師の手相を見て、誰もいいことを言わなかったとのこと。「50歳まで生きられないかもしれない」と言った人さえいました。しかし、甲田医師は83歳まで長生きしたので、こうした手相診断は外れてしまいます。


 甲田医師の手相を見た人が、いいかげんだったわけではありません。若い頃の甲田医師の手相が、たいへん悪かったのです。特に右手は、生命線が薄くて短くて、途中で2カ所も切れていました。
 実際、甲田医師は、しょっちゅう重い病気にかかっていたのです。中学生の頃から慢性肝炎で、大学生のころは十二指腸潰瘍、大腸炎、胆のう胆道炎を患ってしまいました。

 しかし、断食を何回も繰り返した結果、甲田医師の体はみるみる回復しました。
 私が甲田医師の手を見せてもらったときは、手のひらはきれいなピンク色で、生命線も頭脳線も感情線もスッと長い、見事な手相でした。
「手相は変わる。健康になりたいと思って食べすぎをやめれば、手相は変えられる。すなわち、自分の運命は自分で変えられる、ということですな」

子どもに生菜食や少食を
押し付けてはいけない

 私は取材時に、子どもが生菜食や少食を行うことについて、甲田医師に尋ねたことがありました。
 すると「9歳になるまで、普通に3食食べさせたほうがいい」という答えが返ってきたので、びっくりしました
 私が期待していた答えは「小さいうちから、生菜食や少食はやらせたほうがいい。今、社会問題になっている子どもの肥満や不登校も、食べ過ぎが原因だ」だったからです。


 甲田医師の話では、両親が生菜食や少食を続けて、ああー体調がいい、気持ちがいいと実感していれば、そんな親の姿を見て子どもは「自分もやりたい」と言い始める。そのときから、親子でいっしょに生菜食や少食を行うのがいいそうです。
 子どもが分別がつく年齢になってから、子どもの自主性に任せて、生菜食や少食を始めさせることになります。親が子どもに押し付けてはいけないということでしょう。


医師であると同時に
研究者だった

 甲田医師が初めて断食を行ったのは、1950年です。それからは甲田医師自身が食欲と戦って断食や少食を行い、さんざん苦労してたどり着いたのは、少食や断食は生やさしいものではないということでした。
 そして、甲田医師が考案したのが「半日断食」でした。

 甲田医師は、断食の歴史だけでなく、最新の医学研究まで、精通していました。話を聞くと、立て板に水というのでしょうか、1時間ほどずっと、あの「甲田節」で少食や断食の情報を話してくれました。
 そんな甲田医師のもとには、医師や大学教授、研究者、雑誌や書籍の編集者が多数訪れていました。最新情報は、さまざまな人との交流の中でもたらされていたのでしょう。

 加えて、患者さんも多数訪れていました。半日断食などを指導すると同時に、患者さんの体調を調べ、変化を記録していました。患者さんの体質や生活スタイルも把握していました。
 こうしたデータを重視しつつも、患者さん自身を診ていたのだと私は思います。甲田医師は、患者さんの顔や手を見て、背骨にも手を当てていました。

 医学情報から患者さんたちのデータまで頭に入れたうえで、甲田医師が一般的なやり方として指導したのが半日断食なのです。

○半日断食の基本的なやり方
朝 青汁(5種類以上の野菜をミキサーでかき混ぜて作るドロドロのジュース)
昼 玄米ご飯、豆腐、ゴマ
夜 青汁、玄米ご飯、豆腐、ゴマ、野菜・海藻・豆類・小魚類の中から1品
※生水や柿の葉茶を、1日合計1.5~2リットル飲む
※間食・夜食は行わない

「出す」ことを
最重視する

 以前は「朝食を取らないと健康に悪い」「成績が下がる」などと、朝食を抜くことが悪と考えられていました。それが最近では、インド医学などの「午前中は排泄の時間なので、排泄を邪魔しないように朝食は取らない」という考え方が広まっています。甲田医師が話していたのも、まさにこのことでした。

 人間の体は、口から肛門で、消化管という管が1本通っています。消化管が渋滞することが病気の原因なので、食物を取らずに便を出すことを優先します。消化管の詰まりを洗い流すために、生水や柿の葉茶で水分を摂取することは大事です。

 ここからは、私個人の考えです。
 まずは、朝は青汁などの野菜ジュースを飲むようにして、昼食と夕食の量を控える。
 食材は、穀物も野菜も肉も魚も、丸ごと食べるようにする。例えば、ぬかを取り除いた白米ではなく玄米。野菜は根も調理。魚は、頭から尾まで食べられる小魚。
 間食と夜食はやめる。
 水を飲むように心がける。
 毎日、気持ちのよい排便があるか、確認する。
 こうしたことから、半日断食を始めてはどうでしょうか。
 なお、朝の野菜ジュースについては、胃が弱っている場合、繊維も丸ごと飲む青汁やスムージーだともたれて気持ちが悪くなることもあります。胃のもたれや不快感があれば、ザルなどでこして繊維を取り除いたり、ジューサーを使ってジュースを作ったりするといいでしょう。

 断食で、多種類のサプリメントを使用することを勧めている人もいるようです。カロリー摂取を控えて栄養素だけを取り入れるという考えに基づくのでしょうが、このやり方は、きっと甲田医師は推奨しないと思います。
 理由は「不自然で感謝の気持ちが湧かない」「金がかかりすぎる」ということ。
 甲田医師は、食べるということは、植物や動物の命をいただくこと。感謝して食べなければいけないと話していました。植物や動物の姿が影も形も残っていないサプリメントに対して、感謝の気持ちは抱けないでしょう。
 さらに、大阪の人らしく「半日断食で、食費も、料理する時間も節約できる」と力説していました。一方、サプリメントで断食している人から直接私は話を聞いていないのですが、近しい人たちの間で「1カ月分でかなりお金がかかるらしい」とうわさが立っていました。

 健康効果を求めて断食や少食に興味を持つ人はたくさんいるでしょう。すがるような気持ちで断食や少食を始める場合もあるはずです。
 しかし、甲田医師は誰にでも断食や少食を勧めたわけではありませんし、やり方についても甲田医師の理屈があります。甲田医師の考えは書籍の中に細かく書かれているので、ぜひ一度読んでから断食や少食に取り組んでほしいと私は思います。
 甲田医師は「半日断食を行うこと自体が楽しくなってくるんです。そして、たくさん食べなくても満足できる体に変わるんです」と語っていました。



○甲田医師の本
甲田医師が初期に書いた本よりも、後期に出版された「少食」「半日断食」の体験談を集めた本を私はお勧めしています。甲田医師と出会い、刺激を受け、自ら少食に取り組んだ体験者の皆さん。その前向きな姿勢と、皆さんを力強く励ます甲田医師の言葉がすばらしいと思います。
奇跡が起こる「超少食」
子どもとの対話形式で西式健康法について書かれているのが、以下の本。

背骨のゆがみは万病のもと




文/森 真希(もり・まき)

医療・教育ジャーナリスト。大学卒業後、出版社に21年間勤務し、月刊誌編集者として医療・健康・教育の分野で多岐にわたって取材を行う。2015年に独立し、同テーマで執筆活動と情報発信を続けている。
Powered by Blogger.