「市川レンコンの会」と、かつて妙典にあったレンコン畑

下妙典付近のハス田

  社会福祉法人 市川レンコンの会(第4レンコンの家)は、不要になったパソコンやスマホ、ゲーム機などを無料で回収してくれます。「電話をかけるだけで、取りに来てくれる」というのがいいですよね。

 私も以前に回収をお願いして、とても助かりました。私が行った方法は以下のとおりで、今のような感染症のシーズンや、自宅を不在にする際でも大丈夫です。

 市川レンコンの会に電話をし、回収日時を決める
 不要なパソコンなどを段ボールに詰め、「市川レンコンの会」と張り紙をして玄関前に置く
 ①で決めた日時に市川レンコンの会が回収してくれる
 ポストに市川レンコンの会のポケットティッシュが投函されていた(「回収しました」という案内)


 ところで。
 「市川レンコンの会」はどうして「レンコン」なのでしょうか?
 穴があることから「見通しがきく」と縁起のよい食材にされているので、「レンコン」という名前にしたのでしょうか?


 不思議に思っていたのですが、答えが市川歴史博物館で見つかりました。妙典ではレンコン畑(ハス田)が広がっていたのですね。

 以前、千葉県旭市のレンコン畑での収穫の様子を見に行ったことがあるのですが、黒っぽい水がたまっていて、非常にぬかるんでいました。

 レンコンは水生植物のため、畑から水が蒸発してしまったら育たなくなります。そんなレンコンの栽培に、湿地帯だった妙典は適していたようです。

市川歴史博物館で撮影

下妙典の稲田 昭和41年(1966年)撮影 市立いちかわ自然博物館だよりより

 今昔マップで確認したところ、1975~78年と、1983~1987年の地図では富浜1~3丁目の様子が激変していました。レンコン畑や田んぼなどが埋め立てられて、一気に宅地化が進んでいます。

1975~78年の妙典駅周辺 今昔マップより

1983~1987年の妙典駅周辺 今昔マップより

 ここでの、生業としての農業が終わってしまったのが、今から45年前の昭和50年代だったと思われます。
 レンコン農家だった皆さんは、何に転業したのでしょうか。

 市川市の人口総数を調べると、昭和40年が20万7,988人で、昭和50年になると31万9,291人。10年の間で10万人以上も増えています。その後もどんどんと市川市の人口は増えて、現在はおよそ48万人になっています。
 しかし、少子高齢化が進む日本において、市川市の人口も緩やかに減っていくでしょう。もしかしたら、妙典で再びレンコン畑が見られる時代が来るのかもしれません。
市川市の将来人口推計(平成27年度) 市川市ホームページより


※追記

 市川歴史博物館では「ハス田」と表記されていますが、この記事のタイトルはレンコンを打ち出したかったため「レンコン畑」と記載しています。

 あの縁起のよい野菜をハスと呼ぶか、レンコンと呼ぶかの違いについて、NHKでは以下のように説明していました。
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「はす(蓮)」のことを日本各地でどう呼ぶか、ということについて見てみると、「植物」としての呼び名が「はす」、「地下茎(食べる部分)」が「れんこん」、という使い分けをしている地域が多いようです。
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 そして、ネットで調べた限りではハスには田が、レンコンには畑が対応していることが多く、「ハス畑」「レンコン田」という表現はほとんど使われていません。

 さらに、昨日のテレビ番組では、レンコンの栽培が東日本と西日本では異なることも紹介されていました。東日本だと写真のようにひざまでつかるほど水浸しの状態ですが、西日本ではぬかるんでいる状態で栽培されています。
 どうやら地域差が大きいようです。

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