市川市真間5丁目近辺、台地を削り取って地形が変わっちゃった問題

 真間5丁目辺りの土地は、もともとは下総台地で、今よりも5〜15mほど標高が高かったようです。
アイリンク展望台より撮影
国府台公園近くより撮影

 下総台地とは、埼玉県東部から千葉県北部一帯にかかる台地です(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

埼玉県から千葉県に続く黄緑色の部分が下総台地
「20万分の1日本シームレス地質図」(国立研究開発法人 産業技術総合研究所 地質調査総合センター)


 現在では真間山弘法寺と須和田公園に比べると、真間5丁目辺りの土地は低くなっています。
真間山から望む須和田公園

真間山と須和田公園の間に建つ住宅は屋根しか見えません(土地が低い)


 これは大正期の人口増加と関係しているようです。

 少し時代をさかのぼりましょう。
 1875年(明治18年)、陸軍教導団の施設が国府台にできました。そのおかげで、近隣にある根本などの商店が栄え、花街のようになったそうです。

 ちなみに陸軍教導団は、明治期の陸軍の下士官を養成する機関。下士官は中間管理職的な立場で、士官(将校)の下、兵(兵卒)の上に位置したそうです。その階級には、曹長・軍曹・伍長があったとのこと。
 勝手な推測ですが、下士官とは板挟みになりやすい、大変な立場だったのだろうと……
1896-1909年頃は、今ある東京医科歯科大、千葉商科大から須和田まで、台地になっているのがわかります。「諸貝塚」と書かれている部分が削られたと推測(画面右側が現在の地図)


今昔マップ on the web


 そして、明治27年(1894年)に総武鉄道(明治40年に国有化、今の総武線)が開通。
 明治38年(1905年)には江戸川橋(今の市川橋)がかけられました。
 さらに大正3年(1914年)に、京成電気軌道株式会社が江戸川と市川新田(今の市川真間)の間に電車を走らせました。

 このように交通の便がよくなったことから、市川の人口が急激に増加しました。
 大正9年(1920年)は17921人でしたが、大正14年(1925年)には29528人になっています(市川市の人口推移 © 人口・面積・人口密度)。5年間で約1.6倍になっています。

 そもそも、大正期には全国的に人口が増えていったようで、大正14年(1925年)から昭和10年(1935年)にかけては、増加率がなんと6~7%台で推移していたようです(第1章 全国の人口  総務省統計局)

 市川に住む人が増えた結果として、住宅地化・耕地化が進んでいくとともに、水害対策が行われるようになりました。

 その当時、菅野の昭和学院がある場所辺りで、真間川は止まっていました。
 そして、須和田から菅野にかけて湿地帯が広がっていたようです。
 大雨が降ると真間川から水があふれ出し、水害に見舞われていたとのこと。





これらの写真は大柏川第一調節池緑地で、当時はこのような湿地帯だったと推測


 水害を防ぐために、大正期に真間川を原木まで伸ばして海につなげる改修工事が行われました。

 同時に、湿地帯を埋め立てて、田畑や住宅地を整備することになりました。

 この埋め立てのために、真間山弘法寺と須和田公園の間にあった台地の土砂が使われたのだそうです。大量の土が必要だったのですね。

 湿地帯の埋め立ては大正8年(1919年)頃に終わったようですが、その後も道路を作るときなどに土が取られて、昭和17年(1942年)頃まで台地は削られていたとのこと。

 真間山弘法寺と須和田公園の周辺の現在の地形は、昭和の初めに出来上がったといえそうです。

 余談ですが、江戸川放水路が竣工したのは、湿地帯の埋め立てが終わった年と同じ大正8年(1919年)。
江戸川放水路ができる前は、行徳から稲荷木、大洲まで陸続き(画面右側が現在の地図)



江戸川放水路が海側から開削されてきたことがわかります
今昔マップ on the web


 江戸川放水路の開削によって行徳村が2つに分けられてしまい、同じ村なのに橋を渡らなければ行き来できなくなったのです。
工事中の行徳橋

新たにかけられた妙典橋

 人の手によって、市川の地形が大きく変わったことがわかります。
 そしてこれからも、変わっていく可能性は十分にあるといえそうですね。

※事実誤認がありましたら、ご連絡ください!!

〇参考資料
下総国須和田遺跡における律令期の再検討 駒見和夫
https://wayo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=158&item_no=1&page_id=35&block_id=44

景観基本計画検討資料1(平成15年8月27日) 市川市
http://www.city.ichikawa.lg.jp/common/000014883.pdf

市川の路地を楽しむ
http://poesie.web.fc2.com/mamagawa.html

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