宗教の複雑な世界観は、どうしてできちゃったのかな問題 その2 輪廻転生

 古くから、数多くのマンガのテーマになってきた「輪廻転生」。霊魂は肉体が滅んでも残り続け、さまざまな生き物に生まれ変わるという考え方です。




 今から3000年ほど前の古代エジプト、メソポタミア、古代ユダヤ社会、アステカ、古代中国(殷周)など、洋の東西を問わず、古い時代に行われてきた動物供犠(くぎ)。動物を殺して神に捧げる儀式です。

 一つの文化の中で、輪廻転生は動物供犠とは共存しないようです。
 まあ、そうですね。かつて自分はウシだったのかもしれないのに、また、ウシに生まれ変わるかもしれないのに、ウシを殺すなんて、抵抗感がありますよ。ちなみに輪廻転生の語源は、サンスクリット語の「サンサーラ」とのこと。

 輪廻転生(ここでは「生まれ変わり」)という考え方は、いつ、どこで生まれたのでしょうか。

 ひとまず、動物供犠が行われていた古代エジプトとメソポタミアではありません。
 ちなみに、「死んだらあの世へ行く」と考えられたようですが、古代エジプトの場合は「あの世に行っても、自分のまま」と考えたようです。人間は人間のままで、あの世はこの世の延長線上。そして、ウシなどに生まれ変わるわけではないということですね。

一口にメソポタミアと言っても、その文明が続いた期間は3千年ほどあり、また領域も広大であるため、さまざまな観念が混ざり合ったとしても不思議ではない。しかし、おおむね確認できることは次のような点である。
(1)人は死ねば冥界へ赴き、生者の世界には戻ってこない。
(2)死後審判はない。
(3)死者の復活はない。
(4)輪廻転生はない。
(5)神話的には冥界の死霊が地上に浮上し生者と語り得る。神々は冥界に行っても戻ることができる(渡辺2006a参照)。

人類学的にみると、犠牲動物は聖と俗とを媒介するため、一定の聖化の儀式をへて神靈のもとにささげられる〔マルセル・モースほか一九八三〕。前三千年紀のメソポタミアでは、家畜管理官が都市の畜舎で犠牲動物の飼養をおこなったことが粘土板文書から明らかにされている〔zeder1994/谷一九九七〕。

古代エジプト(紀元前3100年ごろ〜紀元前332年)の人々は死を軸にした信仰の体系をもっていた。神官たちは、この世の生は墓の向こうの永遠の生への序曲にすぎないと語り、人々は、現世を精いっぱい生き、来世も同じように生きることを望んでいた。

「別の誰かに生まれ変わる輪廻(りんね)転生とは少し異なる。現世のままなのです」

 遊牧民族のアーリア人も、古い時代には輪廻転生の考え方はなかったようです。
 アーリア人であるザラスシュトラ・スピターマ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)が開祖のゾロアスター教は、紀元前6〜7世紀に古代ペルシア(現在のイラン北東部)で成立したとされています。このゾロアスター教では「死後の裁判で生前の業が清算される」、つまりはこの世とあの世は別とされていて、輪廻転生の考え方はなかったようです。死んじゃったら、この世のことをあの世では引き継がないわけですね。

一般にゾロアスター教の資料には見出せない。そればかりか,この教義は,死後の審判を以て生前の業が清算されるとするゾロアスター教の精神に,明らかに反するものと考えられる。

 ゾロアスター教から推測すると、ウラル山脈の南麓からインド亜大陸に移住していったアーリア人に輪廻転生の考え方はなかったわけです。
 加えて、紀元前1200年頃に編纂された『リグ・ヴェーダ』にも明確な輪廻転生の考え方は見られなかったとのこと。「あの世」の捉え方については、古代エジプト・メソポタミアと共通しています。

 古代インド思想を知るうえで最も重要な文献は、インド文化において最も古く成立したとされる神々への讃歌の集成『リグ・ヴェーダ』 16)である。最初期の段階でサンヒター(Samhita)と呼ばれるヴェーダ聖典が成立した時代には、いまだ明確な輪廻思想は見られず、代わりに Yama の住処として知られる一種の「死後の世界」がゆるやかな形で想定されていたという仮説が多くの研究者によって提示されている 17)。

輪廻の原型として有名な「五火二道説」は、古代インドの王族のみに「秘説」として保持されていた「五火説」「二道説」が後にバラモンにも伝わり広まったものと考えられている。

 「五火二道説」は、紀元前600~紀元前50年頃に存在した「十六大国」の一つであるパンチャーラの国王プラヴァーハナ・ジャイヴァリが、「バラモンにはまだ伝わったことのない王族だけの教え」ということで説いたと伝わっています。

 バラモン教にも輪廻転生の考え方が取り込まれたようですが、シュードラとダリットについては生まれ変わってもシュードラ・ダリットのままという、なんともバラモンたちの自己都合というか……

 そのほか、輪廻転生がはっきりとした形で歴史に登場するのは、素人が調べた範囲では、紀元前600年頃のギリシアです。
 ブドウ酒と豊穣の神であるディオニュソスを崇拝するオルペウス教(オルフェウス教)で、輪廻転生は「悲しみの輪」とされていたとWikipediaで説明されていました。

 そしてギリシアの哲学者・数学者のピタゴラス(紀元前570~紀元前496年)も輪廻転生を信じていたとされています。

キリスト教以前の西洋では、ピタゴラス学派などは輪廻転生の考えから動物供犠を否定したが、主流のストア学派は人間だけがロゴスを有するとし動物との違いを強調した。このような中で育まれたキリスト教の動物観は人間と動物の根本的相違、動物供犠の廃止、メタファーとしての動物の利用を特徴とする。


 紀元前600年頃にギリシアかインドで輪廻転生という考え方が生まれたか、別の場所で生まれてギリシア・インドに伝わったか……そんな可能性が出てきました。

 インドの十六大国時代に誕生した仏教には、人間は6つの世界「六道」の中を輪廻転生するという世界観、「六道輪廻」があります。六道の一つの「天道」にあるのが兜率天(とそつてん)で、弥勒菩薩はこの兜率天で修行し、釈迦の入滅から25億7千万年後に弥勒如来となって地上に降りて衆生を救うとされています。

 こうやって、どんどん世界観は複雑に……

※六道については、以下の記事を参照
地域を見守ってきたお地蔵様と先人たちの祈り

■参考資料
輪廻思想と仏教

※アーリア人

インド・イラン方面
 インド方面 インド・サカ人、インド・パルティア人

 イラン方面
  ウクライナ平原 キンメリア人、スキタイ人、サルマタイ人、アラン人
  コーカサス山脈 オセット人
  中央アジア 大月氏、エフタル、ソグド人、ホラズム人、ホータン・サカ人
  イラン高原 メディア人、ペルシア人、バクトリア人、マルギアナ人

ヨーロッパ方面 スラブ人、ゲルマン人

中国方面 トカラ(トハラ)人
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