「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた その7「チェスターのロバート」そして十字軍
『医学の歴史 大図鑑』(監修/スティーヴ・パーカー 河出書房新社)の「医学の再興とルネサンス 700~1800年 錬金術」のページに記載がある「チェスターのロバート」。
『医学の歴史 大図鑑』より |
あれ、ロバート・チェスターじゃないの?
誤植??
とりあえずネット検索すると、なんと「チェスターのロバート」がWikipediaにありました。
12世紀において数学、天文学、錬金術、クルアーン(コーラン)等の文献をアラビア語からラテン語に翻訳し紹介した人物。イギリス人。アル・フワーリズミーの著書『約分と消約との学』(ilm al-jabr wa'l muqabalah)820年をラテン語に訳し『Liber algebrae et almucabola』を著した(あるいはバースのアデラードの功績ともいう)。Al-jabr[1]に由来する「algebra」は今日英語で代数学を意味する語となっている。ジャービルのアラビア語による『Kitab al-Kimya』(化学の書)は錬金術(羅: Alchemia)の語源となった。
「チェスターのロバート」は実在の人物なのでしょうか?
ジャービル・イブン・ハイヤーンの『Kitab al-Kimya』を1144年に翻訳したと、『医学の歴史 大図鑑』には書かれています。この頃には、イスラーム世界の錬金術や数学がイギリスにも伝わっていたと考えられます。
イスラーム世界で発展した学問を西ヨーロッパに持ち込んだ人々の総称が、「チェスターのロバート」のような気もしてきました。
「チェスターのロバート」と同じくイギリス人のロジャー・ベーコン(1214~1294年)は、カトリック司祭である錬金術師。Wikipediaには「近代科学の先駆者」と呼ばれていると書かれていました。
カトリック司祭。
錬金術師。
近代科学。
なんだか三題噺のお題になりそうです。頭の中で、簡単には結びつかない……
ちなみに、ロジャー・ベーコンと同時代のドイツのキリスト教神学者であるアルベルトゥス・マグヌス(1200~ 1280年)も、錬金術を検証したとのこと。
さておき、「チェスターのロバート」は、アラビア語の文献をラテン語に翻訳したわけで、おそらく知識階級と想像できます。西ヨーロッパよりも進歩していたイスラーム世界に興味を抱き、積極的に情報を取り入れたのでしょう。
そうではない一般大衆にも、イスラーム世界の先進的な文化が伝わっていったきっかけは、十字軍のようです。
十字軍(Wikipediaより) |
十字軍の始まりは、1095年。
セルジューク朝 (1038~1194年)が東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の領土へと進出してきました。ローマ教皇のウルバヌス2世がクレルモン教会会議で、聖地エルサレムの奪還を呼びかけたことで、西ヨーロッパの諸侯や民衆は熱狂し、十字軍が結成されたのです。
セルジューク朝とはトルコ系民族が興した国です。
「トルコ」と聞くと、『クラナリ』編集人は現在のトルコ共和国をイメージしてしまいますが、モンゴルやカザフスタン、ロシアなどの国境付近にあるアルタイ山脈の周辺で活動していたのだそうです。
トルコ系諸民族は古くから内陸アジアの東方(アルタイ山脈周辺)で活動した騎馬遊牧民であり、中央アジアのトルキスタンに定住してからはイスラーム化して広くイスラーム世界に広がり、現在でも中央アジアから西アジアにかけて広く分布する。
10世紀頃、中央アジア西方に移動しながらイスラム教徒になったトルコ遊牧民族の事を、ペルシャ語で“テュルク(トルコ人)に似たもの”を意味する「トゥルクマーン」と呼びます。セルジューク朝の祖先のオグズ族がこのトゥルクマーンでした。
セルジューク朝の最初の首都がニーシャプール、次の首都はシャレフ・レイで、最後はイスファハーンで、すべて現在のイランにありました。アルタイ山脈からスタートして、イランを中心に活動し、エルサレム、さらには1071年のマンジケルト(現在のトルコ共和国にある地域)の戦いで現在のトルコ共和国の地域まで、活動範囲を広げたわけです。この戦いで東ローマ帝国は敗れ、皇帝ロマノス4世ディオゲネス(ドゥーカス王朝3代目)は捕虜となりました。
以上のことから、トルコ遊牧民族はユーラシア大陸の広い範囲で活動していたことがわかります。
ちなみに、ローマ教皇のウルバヌス2世に傭兵を要請した東ローマ帝国皇帝アレクシウス1世は、ドゥーカス王朝を倒して自ら皇帝となりました。
アルタイ山脈とトルコ共和国との位置関係(グーグルマップを一部改変) |
山地が多い(国土地理院地図より) |
こうした経緯で、200年間に7回、十字軍の遠征は行われたのですが、食いぶちのない三男坊などが自分の領地を求めてイスラーム世界を荒らしまわったという側面もあります。
所詮は寄せ集め。
また、十字軍に参加して、地中海地域の街の豊かさやイスラームの進んだ文化に触れ、西ヨーロッパの人たちは驚きました。こうして、知識階級ではない一般大衆も「自分たちは遅れている」「貧しい」「キリスト教の教会制度の下の封建社会はおかしい」と気づくことになるのです。
十字軍時代に設立されたテンプル騎士団は金もうけに走る側面も |
1270年の第7回十字軍が遠征の最後で、1099年に十字軍が樹立したエルサレム王国も1291年にエジプトのマムルーク朝によって滅亡されました。
十字軍遠征は失敗に終わり、ローマ教皇は権威を失って、西ヨーロッパの領主たちは戦費がかさんで没落しました。
その一方で、十字軍の物資輸送で内陸部に交易路が広がり、商業都市が誕生しました。そしてイタリアの海港都市は、莫大な富を築きました。
イスラーム世界で発展した古代ギリシア哲学などが再輸入され、14世紀にルネサンスが興り、錬金術の研究も活発になるのです。
■参考資料
NHK高校講座世界史 第14回 十字軍の時代
余談ですが、十字軍について調べていたら、『転生したらスライムだった件』第12巻前後に登場するファルムス王国を思い出してしまいました。十字軍のエピソードは、ライトノベルやコミックなどさまざまなジャンルで形を変えて取り込まれているのかもしれません。
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