PTAから学んだ「なんとなく人が集まって仕事をする」大きなリスク

 「もっと楽しくPTAの広報紙を作るには?」をテーマに、ブログを7回にもわたって書いてしまいました。
 「もっと楽しく」という割に、「ブラックPTA」や「PTA不要論」、はたまた私自身の理不尽な経験を書き連ねたわけです。
 どうして私はここまでPTAが気になってしまうのか、イライラ・モヤモヤを抱えてしまうのか……
 自分でも不思議で、ちょっと考えてみました。

 そこで出た答えの一つが、「なんとなく人が集まって仕事をする」という点が、私が始めようとしている活動である「市川で暮らしと生業をつくるLab(クラナリラボ)」と似ているからということでした。


 クラナリラボは、まだワークショップを2回行っただけ。PTAほどの歴史はなく、子どもとも紐づけされておらず、あくまでも自主的な活動です。

 しかし、目的が利益の追求だけでもなく、経歴や価値観の異なる複数の人が一緒になって仕事をしようという点でクラナリラボはPTAと似ています。

 すると、以下のような現象が起こると予想できます。

○「ライフサイクルに応じて暮らしや仕事を変化させて、自分や家族の健康を守りながら、生活するために必要最小限のお金を稼ぐ」という本来の目的を理解せずに、ただ人脈や仕事の取り持ちを求めて参加する人が現れる(目的が見失われる)

○なぜか上下関係が生まれ、自分の仕事を正当な理由もなく手伝わせようとしたり、勝手にメンバーの名前を使ったりする人や、イライラ・モヤモヤを抱える人が現れる(ブラック化する)

○経験の差、仕事としての常識の有無で、全体としてのまとまりが欠ける(混乱する)

 こうしたリスクを回避するために、クラナリラボの理念を何度も何度も語り続けるという方法もありますが、北朝鮮の国営テレビのプロパガンダと似ているようで気持ち悪いんですよね。
それにメンバーを監視して恐怖政治を行うのか、という面倒くささもあります。
清水ミチコがこのアナウンサーをモノマネしていて、技が秀逸です

 結局のところ、仕事は1人では成立しないからといって、ただ多くの人を集めただけではトラブルが生じてやっぱり成立しないということ。
 理念を語っても形骸化するから、まずは行動で示す姿勢が大事なのでしょうね。

 人生100年時代。
 自分や家族の健康を守るために、柔軟に働き方を変える。
 通勤その他の移動で疲弊しないように、地元で仕事をつくる。
 東京の隣の市川で、あえてのローカルビジネス。

 クラナリラボの方向性は変わりません。しかし、仕事のためになんとなく、誰でも呼び込んでくるのではなく、自分と価値観が似た人を集め、目的を達成するための仕組みをつくることを、最初の一歩にしたいと思うようになりました。

 たとえ優れた戦略やモデルを思いついたとしても、実行する体制ができなければ、絵に描いた餅に過ぎません。
 その体制とは、大事な価値観が理解し合える人たちのこと。体制を作るために会社では人事が重視され、採用活動に大金を投じているわけです。身の丈という規模の小さなビジネスでも、それは変わりません。

 イベントやセミナーは、ビジネスにおいては栄養ドリンク。飲めばちょっと元気になった気がするけれども、健康には寄与しない栄養ドリンクと同様、イベントやセミナー自体で生業がつくれるわけではありません。

 私たちは、ついつい短期決戦を志向しがちです。
 曖昧な目的のままで場当たり的にとにかく突き進み、何度も何度もイベントを繰り返して、お金も体力も消耗させていくのです。

 背景にあるのが、情報を集めず、事実誤認をした、独りよがりな脳内世界。
 「がんばれば報われる」「続けていれば何とかなる」「○○さんという成功者がやった方法だから、私も同じことをやったら成功する」という、精神主義不思議な楽天主義パターン化された成功法則
 そして、自分のビジネスの本質と関係のない、些末な作業に没頭して、我を忘れてしまいます。

 どうして短期決戦を志向するのかというと、そのほうが楽だから。脳内でぐるぐる考えているだけなので、環境の変化といった情報を集めずに済むのです。
 成果が出たかどうかさえ検証せずに、何度も同じことを繰り返して「うまくいかない」と言いながらも、実は満足しているわけですね。

 上記の流れが、PTAの広報紙とそっくり。
 誰がどのくらい読んでいるのかを検証せずに、ひたすら旧式のやり方で広報紙を発行しています。理屈を欠いた「模範解答」に合わせて、広報委員は今日も作業を続けているということですね。
 PTAではかまいませんが、仕事はそれじゃダメでしょう。
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